世界のトッププロたちは、毎週各地を転戦し、自宅で家族と過ごす時間はあまりない。
しかし過酷なスケジュールの中、頑張れるのも家族がいるから。
プロたちの大事なチームである家族を紹介。
第2回はフィル・ミケルソンの家族を紹介する。
2013年、ミュアフィールドで開催された全英オープンで優勝したミケルソン。妻のエイミー(上段左)、3人の子供たち(左からソフィア、エヴァン、アマンダ)と喜びを分かち合った。
Phil Mickelson
メジャーよりも家族のイベントを最優先するファミリーパパのミケルソン。
大学卒業後、チアリーダーのエイミーさんに一目惚れし今でもラブラブな二人だが、一時は彼女が乳がんを患い生死をさまよったこともあった。
今回は彼の家族愛とミケルソン家の歴史を紐解く。
2005年全米プロでメジャー2勝目を挙げたミケルソン。左から次女ソフィア、長男エヴァン、長女アマンダ。優勝時は子供達にドレスを着せて家族の記念写真を撮るのが常だった。
娘の高校の卒業式に出席するためプライベートジェットでトンボ帰り
欧米諸国ではゴルフ(仕事)よりも家族を優先する選手が多いが、フィル・ミケルソンはその中でも最も家族愛を全面に出す選手の一人だと言えるだろう。
特に過去、長女(アマンダ)の学校の卒業式が全米オープンと重なることが続き、欠場、あるいはプライベートジェットを飛ばして、奇跡の出場を果たしたこともあった。
2013年はメリオン(フィラデルフィア)で開催中の全米オープンの会場から水曜日の夜にカリフォルニアまでトンボ帰りし、翌日午前中の卒業式に出席。
そしてその後再び全米オープン会場へと戻り、午後のティタイムの2時間前に到着。
ドタバタ劇の中でもきっちり成績を残し、2位タイで終了した。
2017年はキャディの〝ボーンズ〟がコースチェックには現れたが、結局ティタイムが娘の卒業式とバッティングしていたため、2013年のような奇跡の出場とはならなかった。
フィルは2人の娘(アマンダ、ソフィア)と1人息子(エヴァン)の3人の子供に恵まれ、幸せな家庭を築いているが、エイミー夫人なくしてはこの家族は語れない。
彼女とフィルとの出会いは、1992年のフェニックス・サンズ(NBA)の試合会場で。
彼女はフィルと同じくアリゾナ州立大に通うチアリーダーの一人であり、将来女優になることを夢見ていた。
フィルはちょうど大学を卒業したばかりだったが、彼はエイミーに一目惚れ。
彼女はアマチュア時代にPGAツアーですでに優勝していた天才ゴルファーの存在を知らず、「彼が自分はプロゴルファーだ、といった時、私はゴルフ場のプロショップで働いているのかと思ったわ」という。
その後、彼女はフィルとトーナメント会場に同行。
ロープの外からいつも元気いっぱいの笑顔で応援していた。
4年に渡りデートを重ね、96年に結婚。最初は子宝に恵まれず、ハワイの子宝の神に祈りにいったこともあったそうだが、その後3人の子供を授かった。
だが、そんな彼女に不運が訪れる。
2009年に乳がんが発症。
病院のあるヒューストンと自宅を行き来する生活を送るようになり、フィルも「妻の看病のため、無期限でツアーを欠場する」と発表したこともあった。
幸い乳がんを克服することができ、翌年のマスターズでは体調が万全とはいかないまでもなんとかオーガスタ入りを果たすことができたエイミー。
そんな彼女の気持ちに応えるかのように彼はマスターズ3勝目を飾った。
私も現場で取材しており、フィルの優勝を18番グリーン奥で見守るエイミーの様子を見ていたが、普段は元気いっぱいの彼女もこの時ばかりは力なく微笑むだけ。
そんな彼女を彼は静かに抱きすくめたが、このシーンは感動的だった。
彼女自身もミケルソン並みに人気者で、誰に対してもやさしく笑顔で応対。
私のようなメディアや一般のギャラリーに対しても親切に、分け隔てなく接する人格者だ。
地元のトーリーパインズで開催された1993年ビュイックインビテーショナルでプロ入り後ツアー初優勝。父母からも祝福された。
祖父はペブルビーチ開場当初のキャディ
祖父譲りの銀のコインがお守り
AT&Tペブルビーチプロアマで過去5勝を挙げるミケルソン。
裕福なミケルソン家のルーツは海賊に襲われた漁師
今ではゴルフ界きっての裕福なプロゴルファー、P・ミケルソンだが、そのルーツを辿ると興味深い歴史を紐解くことができる。
彼の母方の祖父アルフレッド・サントスは、1906年にペブルビーチの隣町モントレーで誕生。
貧しい家庭に生まれた彼は生活費を稼ぐため、学校を途中で辞めてペブルビーチでキャディを始めた。
ペブルビーチとミケルソン家の深い関係
ペブルビーチは1919年に開場したが、彼は当時10歳でオープン当時からのオリジナルキャディの一人。
1ラウンド担いで35セントという賃金で働いていたのだ。
その後、一家揃ってサンディエゴに引っ越し、彼はマグロ漁の漁師となった。
自分の船を所有し、兄弟と何週間も海に出て遠洋漁業を営んでいたが、ある日海賊にボートを銃で襲撃されたという。
彼は海賊を撃ち返し、もしかしたらその中の一人を殺してしまったかもしれないと語っていたそうだが、その後はマグロ漁から足を洗い、ベルトコンベアーでのアッセンブル作業に従事した。
2004年に97歳で亡くなるまで孫のフィルをかわいがったが、フィルは試合で優勝すると大会フラッグにサインを入れてサントスにプレゼントしていた。
サントスの自宅にはたくさんのサイン入りフラッグが飾られていたが(写真参照)、ある時サントスはフィルに「もう普通の試合のフラッグはいいから、メジャーのフラッグをプレゼントしてよ」と言ったことがあったという。
残念ながらサントスが存命中にメジャー優勝のフラッグを届けることはできなかったが、祖父が大好きだったフィルは常に祖父の言葉を胸にメジャーで戦っていたに違いない。
2004年にマスターズでメジャー初優勝を果たしたが、サントスの死後1カ月後のことであった。
貧しかった祖父がキャディを務めていた当時にポケットの中で握りしめていたシルバーコイン。現在はミケルソンが譲り受け、ペブルビーチをプレーする時に使用している。
大会に出場したアマチュアに配布されたコイン秘話
今年、AT&Tプロアマに出場した全アマチュアに対して、あるコインがプレゼントされた。
これはサントスがペブルビーチでキャディをしていた時の話によるもので、ミケルソンにとってはお守りであり、彼のルーツを示す品でもあるのだ。
サントスがかつてキャディをしていた当時、彼はいつもポケットに1ドルコインを忍ばせていた。
どんなに貧乏でもこのコインがポケットの中にあることを感じ、少しはリッチな気分を味わっていたのだという。
どんなにひもじい思いをしても、この1ドルを使うことはなかったそうだ。
そしてこのコインは、のちに孫のフィルに手渡され、彼はペブルビーチでプレーする時だけはこのコインをボールマーカーとして使うようになった。
サントスのコインの逸話は有名になり、ミケルソン自身もこの大会になると必ず話題にするようになったが、2019年に彼がペブルビーチで5勝目を挙げた時、これを祝して大会ホストのモントレーペニンシュラファンデーションが、隣町のカーメル・バイ・ザ・シーのアーティストに頼んでサントスのコインと全く同じ大きさ、重量で記念コインを作らせた。
そして今年、大会に出場したアマチュア全員にプレゼントされたのである。
「このプロジェクトに関わることで私のルーツや父が残してくれた大事なものを再確認させてくれたわ。父はゴルフが大好きで、過去AT&Tプロアマのトロフィやその他たくさんの試合のトロフィも作っていたけど、この小さなコインはフィルのおじいさんの勤勉さや情熱、大好きなことに打ち込む決意のような感情を思い出させてくれるわね」
そのようにアーティストのアシュリー・ベネット・ストッダードさんが語っている。
どんなに貧乏でも苦しくても、1ドルコインを指先に感じながら、人生をポジティブに生きたサントスの情熱と生きざまをミケルソンと同様、このコインを手にした人もまた感じ、学ぶことだろう。
ペブルビーチの開場当時のキャディを務めていた祖父アルフレッド・サントスさん(左)。ミケルソンは優勝するたびにサイン入りのフラッグを祖父にプレゼントしていた。
Text/Eiko Oizumi
Photo/Getty Images
まもなく50歳だが、過去最強のミケルソンを自称
進化するミケルソン
プロ入り後、一度も世界ランク50位以下に陥落したことがなかった世界のレフティも昨年末には70位で終了。まもなく50歳を迎える
彼にも体力的、精神的な衰えが到来したのかと思いきや本人は「今のパフォーマンスがベスト」と言い切る。
ミケルソンをよく知る米国記者に、彼の現状を記してもらった。
6月には50歳を迎えるフィル・ミケルソン。若手の台頭にも負けず、トレーニングや練習に励み続ける。
ミケルソンは予測不可能な存在
オスカー・ワイルドは「芸術が人生を模倣する以上に、人生が芸術を模倣する」と言った。
現実世界の出来事が創造的作品によって引き起こされるようにしばしば思える、ということである。
もちろん、オスカー・ワイルドはフィル・ミケルソンに会ったことはないが、ミケルソン自体が創造的作品のようなものであり、クラブを使って繰り出すスーパーショットは、芸術作品であり、天才のなせる技と言えるだろう。
昔、この機知に富むレフティを起用した、「フィルは次に何をするのか?」と尋ねる広告キャンペーンがあったが、それは彼のマインドは自由で、変幻自在だからだ。
幸い、定期的に優勝することが彼の望みの一つだったが、メジャー5勝を含むPGAツアー44勝と全米アマのタイトルを獲得しているミケルソンは、ライバルのタイガー・ウッズより前に世界ゴルフ殿堂のメンバーになっている。
また彼は2年前、ラスベガスで開催され、テレビ中継された賞金900万ドルの勝者総取り戦でウッズを打ち負かし、ギャラリー達を沸かせたのだ。
こうして彼は、これまでに何百万人ものファンを獲得してきた。
そういえば、2年前には次のような事件もあった。
シネコックヒルズGCでの全米オープン第3ラウンド・13番グリーンで、ボールがカップをかすめた後に小走りで追いかけ、ボールがまだ動いていたにも関わらず、ボールを打ったのだ。これはルール違反だ。
彼はすぐには違反に対して謝罪せず、プレーをスピードアップするためにルールを破ったのだと主張したのは、フィルらしい。だが、彼は後日、謝罪した。
かつて、ゴルフチャンネルの解説者は、フィル・ミケルソンほどうまく逆境から立ち直るプレーヤーはいないと言ったが、この事件はまさにその具体例だ。
2018年11月に行なわれた世紀の対決「ザ・マッチ:タイガーvsフィル」。約10億円の優勝賞金をかけて1日で戦われた二人の因縁の対決は、ミケルソンの勝利に終わった。
ミケルソンのふくらはぎ。日頃からトレーニングを積み、鍛えているのがわかる。寒くても練習日は短パン、というところに彼のナルシズムを感じる。
50歳を迎えるミケルソン
依然として最強のレフティ
ミケルソンはまもなく50歳になり、PGAツアー・チャンピオンズ(シニアツアー)に進む可能性もある。
実際、同年代のアーニー・エルスは躊躇なくシニアツアーに行った。
しかし、ミケルソンは今年の2月、過去5勝を挙げている「AT&Tペブルビーチ・プロアマ」で、惜しくも優勝を逃したほどの実力をキープしている。
彼は、自分の年齢の半分ほどの選手と対戦しても、依然として優勝争いできるのだ。
「今のところ、シニアでプレーしようとは思っていない」と、彼はペブルビーチで述べた。
彼がこう言うにはもっともな理由があるし、それは十分な戦力を維持しているということだけにとどまらない。
近年のミケルソンは、実際、老化の法則に反抗しているようだ。
2019年、ミケルソンのドライバーの平均飛距離は300ヤードを超えた。
彼のスイングは、どちらかというと一世代前に流行ったようなオーバースイング。
今日のプレーヤーの大部分は、より大きな筋肉を使った上、ヒップターンを制限して、クラブヘッドのスピードを生み出しているが、このようなプレーヤーの多く、例えばタイガー・ウッズやジェイソン・デイ、ブルックス・ケプカ、ダスティン・ジョンソンといった選手たちは、背中やヒザに問題を抱えている。
だが、彼は幸いそのような問題を回避してきた。
飛ばしの話をするのが好きな彼は、トレーニングや技術、レッグアクション、オーバースイングの組み合わせが、毎時5~6マイルのスイングスピード向上の助けになっていると語るが、そこに「特別な秘密はない」と言う。
「厳しいトレーニングを9か月続けた後、急にスイングが毎時6マイル、速くなった」と彼は付け加えた。
「これは自分のスイングを物理的に研究し、弱点を強みに変えたから。ジムでトレーニングを積んだが、トレーニングプロセスは完璧だった」
Mizzen+MainというアパレルメーカーのYouTubeでボールを避けたり、芋虫が這うような動きを見せたミケルソン。
俳優のクリス・オドネルの頭ごしに足を振り上げ、運動能力の高さを証明!?
まもなく50歳を迎えるミケルソンだが、平均飛距離は300ヤードを超える。
ギャンブル好きで奇想天外な行動で有名
ミケルソンはギャンブル、とりわけゴルフ関連のものが大好きだ。
何年もの間、出場したどんな試合であれ、彼は、毎週火曜日に行なわれるかなり高額な「フォア・ボール・ゲーム」と言うギャンブルを派手にやっていたものである。
かつてカリフォルニア州のマディソン・クラブで、ミケルソンはベン・クレーンとペアを組んで、コルト・ノストとアマチュアの組と対決した。
そのアマチュアのハンデは24で、200ヤード以上は飛ばせなかったためフロントティからプレーすることを許されていた。
1番ホールのフロントティは、プロのティの約40ヤード前方にあり、2番ホールでは約20ヤード前方にあった。
4番ホールまで行くと、ほんの数ヤードしか離れていなかった。
ノストは、自分が騙されたことがわかった。
ミケルソンがプロショップの人間を呼んで、アマチュア用のティを下げさせていたのだ。ノストはただ首を振ることしかできなかった。
彼の遊び好きな性格は、2018年、そこで最後の開催となったオハイオ州アクロンのファイアーストーンCCでのWGCブリヂストン招待の開催期間中にも明らかになった。
アパレル会社のCMが、多くの人間、特にプロ仲間達を唖然とさせた。
この派手なCMでは、ミケルソンが練習場でダンスをしながら、ゴルフボールをさっとかわす姿を映しているが、特に虫が這うような動きを表現した部分については、彼ならできると妻のエイミーが断言したように、彼は実際に手際よくやってのけた。
それは、独創的な37秒のスポットCMで、YouTubeで100万回近く再生されているが、このサイトのコメント欄がおもしろい。
ある視聴者は「このCMはタイムカプセルに入れて保存すべきだし、また、他の生命体が発見できるように宇宙へ向けて発射すべきだ」とか、「自分の人生にこれが必要だとは思っていなかったが、やっと手に入れた、という感じ」「今まで見てきたCMの中で最も意表を突くものだ。レフティはいつも通り、一か八かのリスクを背負っている」とコメントしている者もいた。
プロ仲間たちの反応はどうか?信じられないという動揺と、彼に対するリスペクトが入り混じっていた。
「みんな本当にショックを受けている。何がショックって、大衆向けに彼が実際にその動きを公開したことがショックなんだ」とマット・クーチャーは語っている。
また、マキロイは「フィルはフィル。こういうところが彼が大好きな理由。すごいね」と言う。
「自分自身を笑うことは楽しいと思っているし、このCMでやっていることはまさしくそれだ」と、ミケルソンはアクロンで記者達に語っている。
「自分の中からそのような動きを引き出すだけで大変だった。断ることもできただろうが、それにどんな意味があるだろうか?自分にそのような動きが備わっているなら、表現しなくては」
その後ミケルソンは、このダンス動画の別バージョンでハイキックを繰り返した。
また彼は、ボストンで行われたパーティーで、身をすくめている俳優のクリス・オドネルの頭の上で左脚を振り回した。
この時の様子はミケルソンのツイッターで動画付きで紹介している。
これら2つの偉業は、素晴らしい経歴書には記載されていない。
ウッズが最強だったのと同時期に、彼は最高のゴルフをしていたため、世界ランク1位になったことがない。
それでも、ミケルソンはラスベガスで900万ドルを獲得した後、世界のトップ50にランクされてから25周年を迎えたことを祝った。
彼は、1993年11月28日に初めてトップ50に入り、トップ10に774週間ランクインしている。
昨年11月にトップ50から陥落してしまったが、それまで1353週連続でトップ50入りをキープした。これは間違いなく破ることが不可能に近い記録となるだろう。
それから、キャリア・グランドスラムについてであるが、全米オープンで2位が6回という記録は、それ自体とてつもない記録だ。
しかし、メリオンでの全米オープン優勝を逃した後、ミケルソンは、今後全米オープンで勝てないと、もう一息で勝ち損なった全試合について思い出す時、常に心が痛むだろうと語っている。
今年、全米オープンは1913年以来初めて9月に開催されるが、ミケルソンが今年、予選会に勝ち抜き、出場権を獲得してウィングドフットの舞台に立つことができれば、もう一度、グランドスラム達成のチャンスが到来する。
そしてその後、彼が何を達成するか、誰にもわからない。しかし、彼の残してきたものは確かなものであり、ウッズがライバルであることについて、「彼は、私がゴルフを始めて以来、最高のプレーヤーの一人だ」と語っている。
ミケルソンは、これまで意表を突くとともに華々しく、彼なりのやり方で偉業を成し遂げてきた。
フィルは、次に何をするのだろうか?
予想するのは難しいが、それが何であれ、見ていて楽しい。
タイガーはアマチュア時代から、常にミケルソンの背中を見てプレーしてきた。タイガーにとっては永遠のライバルだ。
3年前から弟のティムをキャディに起用し、息の合ったプレーを見せている。
Text/Dave Shedloski
デーブ・シェドロスキー(アメリカ)
フリーゴルフライター。過去、ジャック・ニクラスやアーノルド・パーマーの自叙伝などの著書も手がける。男・女・シニアと幅広く取材。
ミケルソンの珍記録
ミケルソンはよく試合中に親指を立てるサムアップをし、ファンたちの声援に応えているが、このサムアップの1日の回数が昨年の全米プロの第3ラウンドではなんと1397回を記録!
時には両手でダブルサムアップも披露していた。
ラウンドしながら1000回以上もサムアップするのもすごい話だが、回数をいちいち数えているのもすごい。
こんなことで集中力はキープできるのだろうか?
全米オープンで優勝すればグランドスラム達成だが、やりすぎてプレー後にはアイシングをしたという動画もアップ。
プレーに支障があるのは否めない。こうした珍記録の話題にも事欠かないのが奇才であり奇人でもある彼の魅力だ。
ファンサービスにおいては、彼の右に出るものはいない。ラウンド終了後、30分以上、ギャラリーたちと会話を交わしながらサインをするのは当たり前。
Text/Eiko Oizumi