ゴルフ界隆盛の礎を築いたレジェンドたちの栄光を振り返る「Legends of Golf」。
スウェーデン・ストックホルム出身で、プロ入り直後は、英語での優勝スピーチが嫌でわざと負けたこともあったというアニカ・ソレンスタム。
史上最強の女子プロと言われ、世界ゴルフ殿堂入りも果たしている彼女は惜しまれながら2008年に引退。
現在はビジネスにゴルフ協会の会長に、そしてシニア大会出場にと、忙しい日々を送っている。
Annika Sorenstam
Annika Sorenstam
アニカ・ソレンスタム(スウェーデン)
1970年10月9日生まれ。アリゾナ大に留学し、世界アマで優勝。1993年にプロ転向。2003年世界ゴルフ殿堂入り。メジャー10勝を含む、米ツアー通算72勝。賞金女王8回。世界ランク最高位1位。2008年に現役引退し、現在はゴルフ場設計やアパレル事業、ジュニア育成などに注力している。2児の母。IGF(国際ゴルフ連盟)会長。2021年「全米シニア女子オープン」優勝。
英語が話せなかった史上最強の女子プロゴルファーが今では国際ゴルフ連盟の会長に
スウェーデン・ストックホルム出身で、プロ入り直後は、英語での優勝スピーチが嫌でわざと負けたこともあったというアニカ・ソレンスタム。
史上最強の女子プロと言われ、世界ゴルフ殿堂入りも果たしている彼女は惜しまれながら2008年に引退。
現在はビジネスにゴルフ協会の会長に、そしてシニア大会出場にと、忙しい日々を送っている。
女子ツアーの7割の試合でトップ3に入る圧倒的な強さ
1995年「全米女子オープン」でメジャー初優勝を遂げたソレンスタム。初々しさが写真上でもわかる1枚だ。
「ルックアップ打法」で数々の大会で勝利を収めてきた。ショットの精度の高さは抜群。
カリー・ウェブ(右)とは、長年にわたり、よきライバルだった。
わずか5年で43勝!史上最強の女子プロ
アニカ・ソレンスタムが史上最も影響力のある女性ゴルファーの一人であるというのは、完全には正確ではない。
シンプルに彼女は、男女を問わず、ゴルフの歴史において最も影響力のあるゴルファーの一人であると言った方がより正確だろう。
LPGAツアー通算72勝に、偉大なるベーブ・ザハリアスに並ぶメジャー10勝。LPGAツアーで59の最少スコアをマークした初の女性選手である。
歴代最多の年間最優秀選手賞を8回受賞し、数十年ぶりにPGAツアーの公式大会に出場した女性だ。
スキンズゲームで男子プロと競い合った最初の女子プロであり、世界ゴルフ殿堂入りも果たしている。
起業家、ゴルフコース設計家としても成功を収め、2008年、実力は健在ながらも38歳で現役を引退した先駆者だ。
ミッキー・ライトはLPGAツアーでより多くの勝利(通算82勝)を挙げ、パティ・バーグ、ルイーズ・サーガスは、より多くのメジャータイトルを獲得しているが、ソレンスタムは、2001年から2005年の5年間で43勝し、女子の試合の競争力が強まっていった時代に、ほぼ7割の確率でトップ3入り。
本当の意味で女子ツアーを支配した人は彼女以外いなかったのである。
スポーツ万能でゴルフ以外にサッカーやスキーも経験
1970年10月9日、スウェーデンのストックホルム近郊のブロに生まれたソレンスタムは、テニスにおいて全国レベルのジュニア選手であり、多くのスポーツにおいても才能あふれる選手だった。
サッカーもやっていたし、スキーもスウェーデン代表に選出されるほどの腕前だった。
しかし、12歳で始めたゴルフを、これこそが自分のやるべきスポーツであると考え、1987年から1992年までスウェーデンのナショナルゴルフチームでプレーした。
セントアンドリュースのオールドコースで行なわれた「セントルールトロフィー」や「エスピリト・サントトロフィー」で優勝したこともある。
アリゾナ大学に入学したソレンスタムは、1991年に1年生として初めてNCAA ディビジョン1の個人タイトルを獲得し、大学での7勝のうちの1勝を挙げた。
1992年「全米女子アマ」でビッキー・ゲッツに次ぐ準優勝を果たし、1993年にプロ入りした後は、1993年に欧州女子ツアー、1994年にLPGAツアーで新人賞を獲得するなど、安定したプレーで早くもその地位を確立。
1994年の「ホールデン・オーストラリアン女子オープン」でプロ初優勝を飾った。
米国と欧州の女子プロの対決「ソルハイムカップ」。2017年には欧州チーム・キャプテンを務めたが、敗退。左は米国チームのキャプテン、ジュリ・インクスター。
北欧のバイキング(海賊)姿で、欧州チームのプレーヤーを応援。
当時の男女世界ランク1位同士だった、タイガー・ウッズ(左)とソレンスタム。当時、ともにフロリダ州オーランドを拠点とし、時々テレビマッチなどでも一緒にプレー。親交も深かった。
圧倒的な強さでメジャー勝利を重ねるソレンスタム
彼女のブレイクは1995年、コロラド州コロラドスプリングスのザ・ブロードムーアで開催された「全米女子オープン」で優勝し、初のLPGAタイトルを獲得した時に始まる。
また、賞金ランキングとシーズン平均ストローク最少選手に贈られるベアトロフィー(彼女が獲得した通算6回のスコアタイトルの1回目)を受賞した。
1996年、ノースカロライナ州サザンパインズのパインニードルズGCで開催された「全米女子オープン」でも優勝を果たした。
その後、2006年に3度目の「全米女子オープン」制覇を成し遂げたほか、「クラフト・ナビスコ選手権(現「シェブロン選手権」)3勝、「全米女子プロ」3勝、2003年には「全英女子オープン」を制した。
LPGAツアー通算72勝に加え、欧州女子ツアー14勝、その他、国際大会9勝。
うち2勝はLPGAジャパンツアーの1997年「樋口久子・紀文クラシック」と2003年「ニチレイカップ」で挙げたものである。
LPGAでの最後の優勝は2008年5月、キングスミルで開催された「ミケロブウルトラ・オープン」だった。
同年の後半に、「もう十分やったと思った」と説明して引退している。
ソレンスタムの旅路に足跡を残した2つの出来事
彼女のキャリアで際立っているのは、以下の2つの出来事だ。
2001年3月21日、アリゾナ州フェニックスのムーンバレーCCで行なわれた「スタンダード・レジスター・ピン」で、彼女は第2ラウンドを13アンダーの59で終え、60を切った最初の女性となった。
カリー・ウェブ、パク・セリとともに持っていた61の記録を破ったこの記念すべきラウンドについて、彼女は「完璧でした」と語っている。
この記録は、彼女が2004年に記録した平均スコアの最少記録(68・6969)を含む、数々のスコア記録のうちの1つだ。
もう一つは、2003年にテキサス州フォートワースで開催された「バンク・オブ・アメリカ・コロニアル」でのPGAツアーへの参戦。
彼女の競争心は男子ツアー参戦へと向かったのだ。
1945年のザハリアス以来、男子の公式試合に女性が出場したことはなかった。
彼女は71・74=145のスコアで111人中96位タイに終わり予選落ちしたが、これまでのどの女性ゴルファーよりも、自分自身と女子ゴルフに敬意を払う、新たなファンを獲得した。
「コロニアル(出場)は私の使命でした。それは、私の道、旅でもありました。そして、『彼女はアスリートだし、もっとうまくなりたいんだ』というふうに受け入れてもらえたような気がしたんです。私はいつも実力で勝負してきました。そして、人々はそんな私を受け入れてくれているように感じたんです」とソレンスタムは語った。
2003年に男子ツアー「バンク・オブ・アメリカ・コロニアル」に女性で出場。予選ラウンドは日本でもおなじみのディーン・ウィルソンとプレーしたが、残念ながら予選落ち。だが、予選ラウンドのショットの精度は1位だった。
妻・母として、事業家として、そして再びシニアプレーヤーとして……
バイタリティ溢れるソレンスタム
シニア入りしたのを機に、2021年「全米シニア女子オープン」に出場し、優勝したソレンスタム(右)。夫のマイク・マギー氏(左)がキャディを務め、2人の子供(アバちゃんとウィリアムくん)も応援にかけつけた。今年は「全米女子オープン」にも出場予定。
2021年に開催された東京オリンピック・女子ゴルフでは、IGF会長としてメダリストに花束贈呈を行なった。右は銀メダリストの稲見萌寧。
ヘンリク・ステンソン(右)とスウェーデン出身のプロ同士、ホストとして欧州ツアー(現DPワールドツアー)の「スカンジナビアン・ミックス」を開催。
引退、結婚、子育て、事業、そして再び競技の道へ
引退後、夫のマイク・マギーと家庭を築き、2人の子どもに恵まれた。
また、アパレル事業、ゴルフコース設計、フロリダ州オーランドのゴルフアカデミーなど、「アニカ」ブランドの構築に多忙を極め、慈善基金も立ち上げた。
しかし昨年、彼女はまだプレーヤーとしての人生を終えていないことを証明。
50歳になったのを機に女子シニアの試合に復帰し、コネチカット州フェアフィールドのブルックローンCCで開催された第3回「全米シニア女子オープン」で、8ストローク差で優勝したのである。
この優勝により、彼女は6月におなじみのパインニードルズで開催される今年の「全米女子オープン」への出場権を獲得し、出場する意向を示した。
また、ソレンスタムは2003年に世界ゴルフ殿堂入りを果たし、2020年、ゲーリー・プレーヤーとともに、ドナルド・トランプ大統領から大統領自由勲章を授与された。
その他のゴルファーでこの勲章を受勲しているのは、ジャック・ニクラス、アーノルド・パーマー、タイガー・ウッズ、チャーリー・シフォード、ザハリアスのみである。
「自分の功績をとても誇りに思います。楽しい旅でした。私は自分の目標を達成するために、自分を非常に厳しく追い込んできた。そのおかげで予想以上のことを達成したと言えるでしょう」と2021年の米国「ゴルフダイジェスト」誌のインタビューで語っている。
実際に、彼女はゴルフ界の他のほとんどの誰よりも、いろいろなことを成し遂げている。
Photo/Getty Images
Text/Dave Shedloski
デーブ・シェドロスキー
長年に渡り、ゴルフトーナメントを取材。著書にアーノルド・パーマーの遺作『A Life Well Played』やジャック・ニクラスの『ゴールデン・トワイライト』などがある。