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【DPワールドツアー・独占インタビュー】星野陸也「過去一、死ぬ気で無理やりゴルフをやった1年間」

PGAツアー本格参戦スタート!
気胸で2ヶ月離脱後、渾身のカムバック!

「過去一、死ぬ気で無理やりゴルフをやった1年間」  星野陸也

PGAツアーのメンバーカードを授与された星野陸也。©Eiko Oizumi
最終戦に出場し、通算2アンダーの28位タイで終了。©Eiko Oizumi

2024年のDPワールドツアーシーズンの開幕2戦で連続2位に入り、2025年のシード権をすでに決めていた星野陸也。
有資格者を除く、同ツアートップ10入りした選手に与えられる、PGAツアー出場権も、特に問題がなければ容易に獲得できる位置にいたが4月に気胸を患い、手術。2ヶ月間、ツアーを離脱した。
復帰しても、さまざまな感覚が戻らず、ランクは下がる一方。
最終戦直前まで、感覚を取り戻すのに苦労した。そんな星野が、最終戦での渾身のプレーにより、PGAツアー出場権を9位で獲得。
ドバイの地で語った彼の苦悩と喜びを、インタビュー形式でご紹介しよう。

死の危険を感じて、緊急搬送
「ジェットコースターのような1年だったが、PGAツアー出場権を獲得できて、本当によかった」

2024年2月、「コマーシャルバンク・カタールマスターズ」で欧州ツアー初優勝。真珠のユニークなトロフィーを掲げ、笑顔の星野。©GettyImages
「DPワールドツアー選手権」開催コース、ジュメイラ・ゴルフエステーツの18番ホールは、フェアウェイの真ん中にクリークが流れ、ドラマチックなエンディングを演出。最終日の星野はここでボギーを叩き、17番ホールでもダブルボギー。終盤で3つスコアを落としてホールアウトした。©Eiko Oizumi
PGAツアー行きが確定した後、中島啓太(左)から祝福された。©Eiko Oizumi
DPワールドツアーCEOのガイ・キニングス氏(左)と。「おめでとう。来年、PGAツアーで頑張って」と声をかけられた。©Eiko Oizumi
ドバイに住む日本人ギャラリーも、星野を応援。©Eiko Oizumi

死ぬ気で無理やりゴルフをした日々

ゴルフ・グローバル(以下GG):まずは、PGAツアー出場権獲得、おめでとうございます!

星野:ありがとうございます。今年は体も心もボロボロで、過去一死ぬ気で、無理やりゴルフをやってきたんで、やり切った感じです。
よかった!嬉しいです。
春先に気胸を患って手術をし、入院して、2か月ゴルフができなかった状態でしたからね。
ゴルフの感覚がおかしくなって、普通にプレーすると80台が出ちゃったり、握り方もわからなかった時期もあって、300メートルをランニングしただけで、過呼吸になったり……。
そんな状況で「全米オープン」以降は無理やり試合に出続けて、感覚が戻らず、本当にイップスにかかるのかな、と思ったこと、何度もありました。
そういう怖い状況からなんとか上位にくらいついて、こうして出場権を獲得できたんで、100点満点です。

GG:2024年シーズンは、DPワールドツアー(以下DPWT)開幕戦の「豪州PGA」や「ISPSハンダ・全豪オープン」で2週連続優勝争いに食い込み、最高のスタートを切った星野さんですが、どんな1年でしたか?

星野:ジェットコースターみたいな1年でしたね。
今年で本格参戦2年目でしたが、DPWTの雰囲気やコースにも慣れて、開幕のオーストラリアでは2週連続2位。
そして2月のカタールではしっかり優勝できて、「いい流れ!」と思ったんですけど、4月に気胸になってしまって(苦笑)。
2か月間、ゴルフもトレーニングも全くできない状況で……。

GG:どんな症状だったんですか?

星野:胸が痛い、呼吸がしにくいと思い、寝れば治るかと思ったら、ますます痛みが増してきた。
息が止まるくらい激痛が走り、「やばい、死ぬ!」と思い、人生初の救急車で夜中の12時過ぎに緊急病院に行ったんです。
右の肺が完全に収縮して、左の肺しか機能していないと言われて。
ドレーン手術という、ボールペン2本分の管を入れて行なう手術をしたんです。
麻酔はしましたが、麻酔が切れてからが激痛で、1ミリ動くだけでも激痛が走った。
トイレも、一人でなんとか回りの物にしがみつきながら行きました(笑)。
若かったのもあって、すぐに治ったのはよかったんですが、トレーニングも基本的にあまりしちゃいけないと言われていたし、自分でも怖くて、ゴルフができなかった。メジャー(全米プロ)も「パリ五輪」も出られなくなって、テレビでゴルフも観たくなかったんです。
自分も出たかった試合ですしね。休養した後は体調は何も心配なくなりました。

GG:「全米オープン」で復帰されましたが、ゴルフの感覚がなかなか戻らない中で転戦していましたね?

星野:約2か月、試合に出られなかった分を取り戻さないといけないと思ったんです。
「全米オープン」のパインハーストはとても難しいコースだとわかっていましたが、あそこへいけば、ゴルフの感覚が研ぎ澄まされて、ゴルフ感が戻ると思った。
案の定、「全米オープン」は全然ダメだったんですが、次の週の「KLMオープン」で10位に入ったんです。
本当にショットがダメで、ゴルフ感も戻らない中、ずっと欧州遠征を続けるうちに、少しずつ感覚も戻り、時々トップ10入りすることもありました。
でも、最終的にゴルフの感覚が完全に戻ったのは、先週(「アブダビHSBC選手権」)からです。
テークバックを上げる時の手の感覚とか、握る強さとか、本当にわからなくなっていたんでね。
欧州の芝は抵抗が強いので、基本的には強く握るんですが、ある夜、寝ている時に無意識に手をグーで強く握りすぎていたことがあって、夜中にそれで目が覚めたことがあります。
それから「BMWインターナショナルオープン(ドイツ)」で6位に入ったんですけど、左手の握る強さが、急に天から降りてきたみたいにわかるようになって、それ以降はゴルフのスイングもなんとなくまとまってきましたね。
それまでは本当に怖かった。いつ、感覚が戻るんだろうって。

GG:飛距離はどうですか?

星野:1か月動けなかったので、筋力も体力も落ちてしまい、飛距離も10ヤードくらい、落ちてますね。
ショット感は、先週のアブダビから、カタールで優勝する前の好きなスイングができるようになってきたんですが、飛距離はまだまだ。
オフにしっかりトレーニングをやれば、絶対に戻ると思うので、PGAツアー出場に間に合えば、と思っています。

GG:それにしても、最初はPGAツアー出場権ランキングで1~2位を争う上位にいましたが、どんどん下降して……やっぱり焦りはありました?

星野:そうですね。結構ギリギリになってきて……(苦笑)。
調子が上がらない中で、なんとか耐えて、最終戦を迎える段階でまだ圏内にいたのはすごくよかったです。
自分の中では過去で一番疲れたし、死ぬ気で無理やりゴルフをやってきたんで、体も心もボロボロになりました。
ただ、「きつい」と思うと、その瞬間から悪い方に行ってしまうと思ったので、最後までそう思わないように頑張ってやってきましたけど、今年は正直、かなりキツかった。
最終戦の最終日、上がり2ホールで、ダボ、ボギーとしてしまって、スコアを3つ落としてしまいましたが、当落線上の選手たちの最終成績が出て、順位が確定するまで、ドキドキでした。

全ての感覚が戻ったのは、最終戦直前の「アブダビ選手権」
体調を整え、筋力を取り戻して米ツアー挑戦に備える

PGAツアー出場権を獲得直後、薬丸龍一キャディと喜びを分かち合う星野。米ツアーでもこのコンビで戦う。©Eiko Oizumi
DPワールドツアーの「レース・トゥ・ドバイ」ポイントランキングでトップ50だけが出場できる最終戦「DPワールドツアー選手権」で戦った星野(左)と中島。©Eiko Oizumi

欧州ツアーで学んだことと今後に活かしたいこと

GG:過去2年間にわたり、欧州ツアーを転戦して、一番勉強になったことは何ですか?

星野:想像以上にたくさんのことが身になったな、と思いますが、今年の南アフリカの試合で、風速40~50ヤードの強風を経験したんです。
日本だと風速20ヤードくらいでも強いな、と感じてましたが、半端なかったですね。
これでやるのか!って驚きましたが、もう慣れました(笑)。
それと、DPWTのバンカーのレーキって、平らではなく、全部カギ爪になってるんで、溝になっちゃうんですよ。
だから目玉になりやすい。
日本だとバンカーはスピンがかかるもんだ、と思っていますが、こっちではスピンをかけられない。
奇跡的に入る時もありますが、今は、スピンを効かせなくてもいいような打ち方で対処しています。
また、以前は3パターンくらいの打ち方で対応していましたが、今では5パターン。
芝質や風次第で、対応するパターンを臨機応変に変えています。

GG:PGAツアーに行く前に、いい準備ができましたね。

星野:そうですね。それに、コース内外で、我慢強くなりました。
打った瞬間に突風が吹いて、理不尽なピンチが訪れたりすることもあり、ストレスはたまりやすい。
海外の選手がブチ切れるのが、理解できるようになりましたね(笑)。
予選落ちすると、ストレスは結構たまりましたが、観光地を訪れたり、その国の文化に触れて気分転換をするようにしました。

GG:DPWTもレベルは高いですが、PGAツアーはまたそのさらに上をいくレベル。どういうイメージですか?

星野:DPで活躍していたマチュー・パボンやロバート・マッキンタイヤーもPGAツアーで優勝しましたし、そういう意味では自分も自信を持ってそこで頑張りたいと思います。
とにかくPGAツアー一本で、来年はやっていきたいと思います。

2024年 星野陸也のDPワールドツアー全成績

フォーティネット·豪州PGA選手権2位
ISPS HANDA 全豪オープン2位
ヒーロー·ドバイデザートクラシック予選落ち
ラス·アル·カイマ選手権予選落ち
バーレーン選手権12位タイ
コマーシャルバンク·カタールマスターズ優勝
マジカル·ケニアオープン64位タイ
SDC選手権36位タイ
ジョンソン·ワークウェアオープン予選落ち
ポルシェ·シンガポールクラシック49位タイ
全米オープン予選落ち
KLMオープン10位タイ
イタリアオープン29位タイ
BMWインターナショナルオープン6位タイ
ジェネシス·スコットランドオープン予選落ち
全英オープン予選落ち
ベトフレッド·ブリティッシュマスターズ46位タイ
オメガ·ヨーロピアンマスターズ8位タイ
アムジェン·アイルランドオープン30位タイ
BMW PGA選手権40位タイ
アシオナ·スペインオープン29位タイ
フェデックス·フランスオープン67位タイ
アンダルシア·マスターズ50位タイ
ジェネシス選手権9位タイ
アブダビHSBC選手権37位タイ
DPワールドツアー選手権28位タイ

※このインタビューは、2024年11月の「DPワールドツアー選手権」で行なったものです。

O嬢日記@DP World Tour Championship

PGAツアーで次に「先生」と呼ぶ選手は誰?!

最終日の最終ホール、2打目をグリーンの右奥に外し、そこから打ったアプローチが、グリーン左のクリークに。そこからピンに寄せ、痛恨のボギーを叩いた。©Eiko Oizumi
現在、LIVゴルフでプレー中の、欧州ツアーメンバーのエイドリアン・メロンク(左)と。星野は「メロンク先生」と呼び、慕っている。©Eiko Oizumi
スペインのエイドリアン・オタエギのことも、「オタエギ先生」と呼んでいる。©Eiko Oizumi

DPワールドツアーを2年にわたって転戦していた星野が、試合で共にプレーし、そのプレースタイルや人柄、技術力で「先生」と呼んでいた選手たちがいた。
現在は、LIVゴルフに移籍し、時々DPワールドツアーでプレーしているポーランドのエイドリアン・メロンクと、スペインの(そして昨年12月からはアラブ首長国連邦国籍として登録している)エイドリアン・オタエギである。
彼らのことを「メロンク先生」「オタエギ先生」と呼び、慕っていたが、星野のPGAツアー行きが決まった時、オタエギ先生は星野と祝福の挨拶を交わし、星野も嬉しそうだった。

後日、南アフリカで行なわれた「ネッドバンク・ゴルフチャレンジ」に取材に行った私は、大会が終了した翌日に、開催地のサンシティからヨハネスブルクまで、選手・関係者用のチャータージェットに乗せてもらって移動。
道中、オタエギ先生と同じ便だった。
オタエギ先生に「リクヤは、あなたをとてもリスペクトしていますよ」と話すと、彼は「彼はいい人だし、ゴルフもうまい。彼が優勝したカタールマスターズでも練習ラウンドで一緒に回ったよ」と星野とのラウンドも覚えていた。
そして「彼ならアメリカに行っても、素晴らしい成績を残せると思う」と語ったのだ。

DPワールドツアーは、欧州を中心にアジアや豪州、北米……と、いろいろな地域から選手が集まり、世界を股にかけて大移動する。
旅の途中でのトラブルはザラで、みんな毎週、違う国を転々としながら、大変なことも嬉しいことも、いろいろ経験して、1年間を送るのだ。
そんな中で生まれる友情や仲間意識は、米国のPGAツアーにはないものかもしれない。

今季から本格参戦するPGAツアーには、星野が「先生」と呼んで尊敬し、慕う選手がどれだけいるだろうか?
様々なことを経験し、ちょっとのことではへこたれない強靭な体力と精神力を駆使して、PGAツアーでもマッキンタイヤーらのように、星野にもひと暴れして欲しいものである。

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