
暴行事件で5年間服役していた選手の復活優勝
2024~25年のオーストラリアPGAツアー最終月は、ライアン・ピークの驚くべき復活劇が大きな話題となった。
3月初旬に「ニュージーランドオープン」を制した彼の姿は、世界中のゴルフファンに深い感動を与えた。
かつては有望なジュニアチャンピオンだったが、道を踏み外しゴルフ界から姿を消したピーク。
彼が再起を遂げるまでには、暴行事件で5年間の服役という過去があった。
現在30代となった彼は、「ニュージーランドオープン」での優勝により、7月の「全英オープン(ロイヤル・ポートラッシュ)」出場権を獲得すると同時に、オーストラリアPGA賞金ランキングで2位となり、2026年DPワールドツアーの出場権3枠のうちの1つを手にした。
10代の頃パースで過ごしていたピークは、豪州で最も将来を嘱望された選手の一人だった。
キャメロン・スミスと同じインターナショナルチームに選出され、17歳の若さで2010年の「オーストラリアンオープン」に出場。見事、予選通過も果たしていた。
しかしプロ転向後まもなく、彼はゴルフから離れて暴走族に加わり、2014年に暴力事件を起こして5年の実刑を受けることとなる。
西オーストラリアのゴルフ関係者の多くは、彼が再び表舞台に戻ってくることはないと思っていた。
だが、服役中に自身の過ちの大きさを痛感したピークは、かつての恩師リッチー・スミスに連絡をとった。
スミスはミンジー・リー、ミンウー・リー、ハナ・グリーン、エルビス・スマイリーらを育てた名コーチだ。
服役中からトレーニングと練習に励んだピーク
ピークの当初の目的は、スミスを失望させたことを謝罪することだけだった。
しかし、スミスは自分の才能を見捨てるなと説得し、服役中から始められるトレーニングプログラムを用意した。
ピークは体重を落とし、日中の外出許可が得られるようになると練習場へ通い、かつての所属クラブのコンペで優勝を果たした日も、夜には刑務所へ戻る生活を送っていた。
2019年に出所した後も、プロレベルに戻るまでにはさらに3年の努力が必要だった。
そして、2024~25年シーズン後半にようやく自信と安定感を取り戻し、オーストラリアツアーで台頭し始めた。
ターニングポイントとなったのは、クリスマス直前にメルボルンのサンドベルト4コースで開催された「サンドベルトクラシック」。
ここで彼はDPワールドツアーメンバーのデビッド・ミケルッジとのプレーオフを制して勝利した。
ツアーで4度のトップ10入りを果たす中、ピークの過去も公になったが、彼は過ちから目を背けることなく、自らの過去を率直に語った。
犯罪歴がある彼がニュージーランドに入国するにはビザの特別許可が必要だったが、それが下りたのは「ニュージーランドオープン」のわずか48時間前だった。
DPワールドツアーのシード権を獲得

「ニュージーランドオープン」最終ラウンド当日、54ホール終了時点で首位と4打差だったピークは、朝にスミスとミンウー・リーから、「結果がどうあれ、君の復活劇自体がすでに勝利だ」と電話で激励を受けた。
そして彼は5アンダー(66)をマークし、最終ホールで3メートルのバーディパットを沈めて逆転優勝を飾った。
彼の勝利を祝福しようと、多くの選手がグリーンに駆け寄ったことは、ツアー界の彼への支持の強さを物語っていた。
「ニュージーランドオープン」での勝利と5度のトップ10入りで、彼は賞金ランキング2位に浮上。
首位のエルビス・スマイリーがすでにDPワールドツアーカードを保持しているため、ピークが翌年の出場権1枠目を獲得。
フル参戦が可能になった。
「戻ってきて、もう一度挑戦しようと決めた自分の判断が間違ってなかったことを証明できたと思う」と彼は語っている。
複雑骨折の重傷から復帰したサラ・ケンプ



WPGAツアーでは、オーストラリアで予定されていた欧州女子ツアー(LET)の3大会のうち、「オーストラリア女子PGA選手権」がサイクロンの影響で中止となり、2大会の開催となった。
この2大会はいずれも海外勢が制し、ベルギーのマノン・デ・ロイが「オーストラリア女子クラシック」、イングランドのミミ・ローズが「ニューサウスウェールズ(NSW)女子オープン」で優勝した。
地元の注目は、サラ・ケンプの勇敢なカムバックだった。
昨年8月、アメリカでゴルフカートに追突され、右脚の骨を2か所複雑骨折するという重傷を負い、キャリア継続が危ぶまれた。
「オーストラリア女子クラシック」で地元ニューサウスウェールズに戻った彼女は、54ホールを歩き切れるか不安だったという。
しかし、最後まで戦い抜いただけでなく、大会2日目には自己ベストとなる8アンダー(62)という驚異的なスコアをマークし、最終ラウンドを2打リードして迎えた。
明らかに足を引きずりながらも、最終的には4位タイでフィニッシュ。
その後、72ホールで行なわれた「NSW女子オープン」にも出場。さらにLPGAツアーでは18年連続で出場権を獲得し、「フォード選手権」でも4日間完走した。
ミンウー・リーがPGAツアー初優勝

またアメリカでは、リー姉弟(ミンジー・リーとミンウー・リー)が新たな快挙を達成。
ミンウーがPGAツアー初勝利を「ヒューストンオープン」で挙げ、アメリカの主要ツアーで優勝した史上3組目の姉弟となった。
これまでに達成したのは、30年以上前に活躍した、キャシー&ビリー・クラッツァート姉弟、ジャッキー&ジム・ギャラハーJr.姉弟のみである。
Text/Karen Harding

カレン・ハーディング
(オーストラリア)
メルボルン出身のゴルフジャーナリストで、数々の賞を受賞。女子ゴルフやゴルフ場の環境問題、大衆ゴルフなどに関する執筆に注力。