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【日本のゴルフ黎明期を支えた幻のゴルフ場】第28回「洞爺湖ゴルフ倶楽部」

1901年に最初の4ホールができた日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」のように、現存するコースもあるが、中には消滅し、姿を変えているところもある。
そんな「幻のゴルフ場」を探訪する。
第28回は洞爺湖ゴルフ倶楽部を紹介する。

Before

洞爺湖ゴルフ倶楽部

北海道ゴルフ連盟発足にも関わった戦前の9ホールのゴルフ場。
「洞爺湖リンクス」として知られていた。

写真は、芝をはんで芝刈りを行なう羊たち。
※参考文献/「虻田町史第5巻洞爺湖温泉発展史」(北海道虻田郡虻田町発行)「グリーン物語北海道ゴルフの歩み」(小笠原勇八・福島靖著、北海道新聞社刊)
写真提供/洞爺湖町役場
通称「見晴台」から、洞爺湖GCが一望できた。
写真提供/洞爺湖町役場

Now

洞爺湖温泉街

山と湖に囲まれた道内屈指の温泉郷

「見晴台」近くから見た温泉街の風景。写真の右側にある黒い大きな屋根の建物あたりにゴルフ場は存在した。
写真提供/株式会社清流舎
洞爺湖有珠山ジオパークでは、約11万年前の巨大噴火でできた洞爺湖、約2万年前の火山活動でできた有珠山など、繰り返される火山活動により変動する大地の姿を見ることができる。
写真提供/株式会社清流舎
カルデラ湖の洞爺湖を中心とする「支笏洞爺国立公園」。周辺の1市3町が洞爺湖有珠山ジオパークとして「世界ジオパーク」に認定されている。
写真提供/株式会社清流舎

鉄道の開業に伴う沿線開発計画。その目玉としてゴルフ場が造られたケースは多い。
草分けとして有名なのは、兵庫の宝塚ゴルフ倶楽部(1926年~)だろう。
阪急電鉄創業者・小林一三氏が「阪急沿線に造るなら、そこらのゴルフ場に負けないコースを造れ」と土地を貸し、資金援助もして強烈にバックアップ。
温泉、ホテル、宅地開発、百貨店、歌劇団などのシナジー効果により沿線ビジネスを軌道に乗せた。

同じ近畿圏では、この連載でも取り上げた旧京阪電鉄の山田公園ゴルフコース(1935~45年)や、阪和電鉄の信太山ゴルフ倶楽部(1936~43年)もその典型。
いずれも大阪府内でほぼ同時期に設立され阪神地区にゴルフ熱をもたらした。

しかし、第二次世界大戦が始まると、山田公園は当時の食糧不足を補うため農地に変えられ、信太山は軍に接収され、その後復活しなかった。

北海道にも同様の例がある。
洞爺湖ゴルフ倶楽部の設立は、大阪の2コースよりも少し早い。
1931(昭和6)年8月2日、洞爺湖を一望できる10ヘクタールの土地に9ホールをレイアウトしてオープンにこぎつけている。

「洞爺湖電気鉄道株式会社」が資本金40万円で設立されたのは、それより4年前の1927(昭和2)年5月7日。鉄道省長輪線(現JR北海道・室蘭本線)の虻田(あぶた)駅(現・洞爺駅)が開設されることが決定したのを受け、長輪線と洞爺湖温泉を結ぶ目的だった。

「虻田町史第5巻洞爺湖温泉発展史」によれば、「ゴルフ場は観光客誘致の目玉商品として2万8000円という、当時としては思い切った」資金が投入されたという。
土質は火山灰。耕作には適さない土地だったが、洋芝の生育にはピッタリだった。

「ケンタッキーブルーグラスが良く育ち、芝に博識の宮脇富は、日本一の洋芝を持つコースと折り紙をつけた。東洋でも、このコースの右に出るものはないとさえ言い切った。電鉄の停車場からも近かったし、温泉地もすぐ近くに控えていたことから、日本一のリゾートコースと言えたかもしれない」(「グリーン物語北海道ゴルフの歩み」より)。
文中に登場する宮脇氏は、米カンザス大で酪農を学び、帯広畜産大学学長にもなった畜産学者。
当然牧草や洋芝にも造詣が深かった。

その後、ゴルフ場内には白樺や黒松、桜、アカシヤが植樹された。
同書では、当時の代表的な洋画家で、ゴルファーでもあった南薫造氏が「月刊ゴルフ」に書いた一文を紹介している。
「洞爺湖のリンクスは一個の美しい庭園だ。有珠火山の麓にあっていずれのフェアウエーからも、白く輝き映える洞爺の湖面がみられる」。

しかし、戦争の激化に伴い1941(昭和16)年、鉄道は廃止され洞爺湖開発も中断。
ゴルフ場もそれに伴い閉鎖された。
2年後の1943(昭和18)年には、教員保養所が建てられたが、1977(昭和52)年の有珠山大噴火で壊滅的な打撃を受けた。
現在はビジターセンターと火山科学館、公園へと姿を変えている。

Text/Akira Ogawa

小川 朗
東京スポーツに入社後、ゴルフ担当を長年務め、海外特派員として活躍。男女メジャー取材も25試合以上。日本ゴルフジャーナリスト協会会長。

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