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【世界トッププロ達のFamily・家族の絆】第7回「ジェイソン・デイ」

世界のトッププロたちは、毎週各地を転戦し、自宅で家族と過ごす時間はあまりない。
しかし過酷なスケジュールの中、頑張れるのも家族がいるから。
プロたちの大事なチームである家族を紹介する。

連載第7回は、オーストラリアのジェイソン・デイ。

ジェイソン・デイ
Jason Day

オーストラリア人のジェイソン・デイは現在、エリー夫人の実家があるアメリカ・オハイオ州で、妻と子供3人、母親の6人で暮らしているという。

世界ランク1位にもなり、メジャー優勝も果たして、幸せな人生を送っているナイスガイにも、実は心の闇を抱えていた時代、母の闘病に対する苦悩があった。

©Getty Images

2018年「ウェルズファーゴ選手権」で優勝したジェイソン・デイ。左からルーシーちゃん、ジェイソン、ダッシュくん、エリー夫人。現在は、アローくんも誕生している。

 

家を売り払い、ジェイソンにゴルフの道を歩ませた母の決断

©️Mark Calleja / Newspix

ジェイソンの母、デニングさんはステージ4の肺ガンを患い、余命1年未満と言われた時期もあったが、現在は米国で治療を行ない、回復しつつあるという。夫をガンで亡くした後は、女手一つで子供達を育て上げた。

©Getty Images

2017年3月、母のガンが発覚し、「WGCマッチプレー」を欠場。その記者会見場で母への思いを吐露したジェイソン。

荒くれジェイソンが更生できた理由

ジェイソン・デイといえば、明るく溌剌としたナイスガイで、2015年「全米プロ」で優勝し、この年には世界ランク1位にも登り詰めたオーストラリア出身のトップランクの選手である。
彼はファンサービスにも熱心で、母国オーストラリアだけでなく、アジアやアメリカでもファン(特に女性)は多いが、そんな彼も10代の頃はトラブルを引き起こしてばかりの問題児だった。

アイルランド系オーストラリア人の父アルビンさんと、フィリピン系の母デニングさんとの間に生まれたジェイソンは、決して裕福な家庭に生まれ育ったわけではなかった。
ゴミ捨て場に捨てられていたゴルフクラブを父親が拾って持ち帰り、3歳のジェイソンに与えたのがゴルフを始めるきっかけとなったが、6歳になるまではただ周囲の物を壊す道具に過ぎなかった。
その後、地元のスポーツクリニックに通って、そのクラブでゴルフの練習をするようになったのだという。

だが、デイ家に悲劇が訪れる。アルビンさんが胃ガンで亡くなったのだ。
当時12歳だったジェイソンは最愛の父を亡くし、心のよりどころをなくして途方に暮れた。
学校に行けばケンカばかりで、酒やタバコを繰り返す不良少年に。ゴルフの練習もパタリとやめた。
そんな彼を心配した母デニングさんは、家を売り払い、ジェイソンを全寮制の寄宿学校「クーラルビンインターナショナルスクール」に入れた。当時のことを振り返り、姉のキムさんは次のように語っている。

「父が亡くなった時、母は本当に一生懸命働いていました。彼を学校に入れるために、家も売ったんです。私たち(ジェイソンには二人の姉がいる)も多くの犠牲を払いましたが、そのことが彼を本気にさせたんでしょうね」

寄宿学校のゴルフ部に所属したジェイソンは、周囲に何もない環境が幸いし、ゴルフの練習に明け暮れる毎日を送った。
そして彼の人生にとって最も重要な人物の一人、コリン・スワットン氏と出会う。
彼はクーラルビンのコーチだが、ジェイソンにとっては父親代わりでもあり、メンターでもあった。
のちにキャディも務めて「全米プロ」優勝に大いに貢献した人物だ。
現在はコーチもキャディも辞めているが、デニングさんは「コリンはジェイソンの心の底にある性格的な問題を理解してくれ、状況を受け入れてくれた。
彼がいてくれたから、ジェイソンも更生できた」と語っている。

余命1年の宣告を受けた母

さて、夫を亡くしたデニングさんは、女手一つで子供達を育てたが、2016年12月、肺ガンを患い余命1年という宣告を受けた。
医療の進んだアメリカで手術を受けさせたいと考えた彼は、母をオーストラリアからアメリカに呼び寄せたが、その手術を行なう予定になっていた週の「WGCマッチプレー」を試合の途中で棄権。
「母のことを考えるとゴルフどころではない。とても辛い」と涙を浮かべて記者会見を行なったのである。

「母は心配しないで試合に出なさい、私は大丈夫よ、というけど、僕にはプレーなんてできないし、母は大丈夫ではない。僕たちが面倒を見るからね、と言ったんだ」

その後、手術は大成功に終わり、現在もデニングさんは、彼の家族とともにオハイオ州コロンバスに住んでいる。
今はバイオマーカーを使いながら肺ガン治療を進めているそうだ。
母がいなければ、プロゴルフの道を歩むこともできず、メジャーチャンピオンにもなれなかったジェイソン・デイ。
最近の調子は今ひとつだが、それよりも母の体調の方が気がかりであり、家族との時間を大切にしているのだと思う。

初デートまでに2年。
内気なジェイソンが年上美人妻と結婚

©Getty Images

オハイオ州のアイリッシュパブで働いていた2歳年上のエリーさん(右)に一目惚れし、交際を申し込んだ。現在ではツアーでも有名なおしどり夫婦だ。


ジェイソンにはエリーさんというツアーでも1、2を争う美人妻がいる。
2歳年上の彼女はオハイオ出身で、自称「田舎娘」。昼間はビューティサロンを開く夢を実現するためにスクールに通い、夜はアイリッシュパブでウェイトレスをしていた時期もあった。
スワットン氏は彼の友人がオハイオでゴルフアカデミーを開校したのを手伝うために渡米しており、ジェイソンもともにそのアカデミーで腕を磨いていた。
スワットン氏とともにエリーさんのパブにやってきたジェイソンは、彼女に一目惚れ。
当時彼は17歳、エリーさんは19歳。人見知りの激しい彼が彼女にメッセージを送るまでに1年、初デートに誘うまでにさらに1年かかったそうだ。
エリー夫人は出会った当時のことを次のように振り返る。

「まさかこの人と結婚するとは思わなかったわ。私の人生は劇的に変わったけど、私自身は全然変わってないのよ」

その後、オハイオ州のクリーブランドで下部ツアーの試合があり、その試合に彼女を誘ったところ、なんと優勝。
その翌週にも同州コロンバスで試合があり、彼女は次の試合会場にも駆けつけた。
スワットン氏が二人の間を取り持ち、なんとか初デートに漕ぎ着けたが、アップルビー(米国のファミレス)で食事し、ホラー映画を観た時も、スワットン氏が同伴していたという。
いかに彼がシャイで、スワットン氏に頼りっきりであったかがわかるおもしろいエピソードだ。

エリーさんの父のトム・ハーベーさんは、オーストラリアからやってきたジェイソンについて次のように語っている。

「彼とはとてもいい関係を築いている。分別があるし、いい若者だ。全然気取ったところがないし、ナイスガイで物静かだ。でも最初はプロゴルファーだし、オーストラリア人だし、どうなのかな、と思ったよ」

またエリーさんの母ルーシーさんは「エリーは本当に田舎の娘って感じだけど、誰か有名人と結婚するんじゃないかと思っていたの。相手はカントリーシンガーか誰かだと思ってたのよ。でもプロゴルファーとはね……」と米ゴルフメディアに語っている。

ジェイソンとエリーさんはフロリダで同棲したのちに結婚。現在は3人の子宝にも恵まれ、子育てに忙しいのか、以前のようにエリーさんが毎試合でジェイソンについて歩く姿は見られない。
だが、彼女はずば抜けた美貌の持ち主であると同時に、非常に親しみやすい性格の持ち主。
現場で声をかければ、ニッコリと笑いながら挨拶を交わしてくれるような気さくな女性だ。
オーストラリアの不良少年だったジェイソンが、スワットン氏との出会いをきっかけに更生し、メジャーチャンピオンへ……。
オハイオ州でエリーさんに出会えたことも、彼の人生にとってメジャー優勝並みの快挙といっていいだろう。
デニングさんの健康を祈るとともに、ジェイソンの活躍する姿を再び見たいものである。

©Getty Images

父を12歳で亡くした後、ゴルフコーチのコリン・スワットン氏(右)が父親代わりとなって、ジェイソンの人間形成、ゴルファーとしての成長を支えた。

©Getty Images

元気いっぱいで人懐っこく、やんちゃなダッシュくん(左)も、現在8歳。

 

Eiko Oizumi

O嬢(大泉英子)/ゴルフ誌の元編集長。国内男子、海外ツアー取材を主に担当し、男女シニア海外メジャー取材は100試合超。現在はフリーで活動中。 全米ゴルフ記者協会会員。

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