世界にはゴルフ文化のない国、あるいは最近ゴルフ場ができたばかりという国がいくつもある。ここでは、「ゴルフ発展途上国」の歴史と文化、“ゴルフの夜明け”との関係性などを紐解いていく。
首都全体が世界遺産の、地中海に浮かぶ小さな島国 マルタ共和国
紀元前5900年からの歴史を持つ世界最小国家の一つ
かつては「メリタ」と呼ばれていたマルタ共和国。温暖な気候、3つのユネスコ世界遺産と7つの並外れた巨石神殿のある何世紀にもわたる歴史、伝統、美しい自然などで観光客から人気のある、シチリア島からわずか80キロに位置する島国だ。世界で10番目に小さな国で、欧州連合の中では最小の国である。首都はバレッタで、人口は約50万人。紀元前5900年から人が居住していた記録があり、フェニキア人、アラブ人、ノルマン人、ローマ人、ギリシャ人、聖ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)、イギリス人など様々な人種の人々がこの島で暮らしてきた。
マルタは一時、ナポレオンが制圧し、国政を刷新した時期もあった。封建制度の特権と奴隷制度を廃止し、トルコ人やユダヤ人の奴隷すべてに自由を与え、司法改革と教育改革を施した。だが、財政・宗教政策などのフランスの規則は嫌われ、反抗的なマルタ人が英国海軍やシチリア、ナポリの国王たちの支援を受け、1800年にナポレオンたちを追放。マルタのリーダーは英国国王の保護と主権を要請し、1814年に英国の植民地となったのだ。
第一次世界大戦中、マルタは「多くの負傷兵を治癒する地中海の看護師」と呼ばれていた。英国海軍の地中海本部は1937年にアレクサンドリアに置かれるまで、マルタにあったが、マルタは1964年に独立。1
989年には、冷戦時代の米国のジョージ・ブッシュ(父)とソビエトのミハイル・ゴルバチョフが初めての会談をマルタで行ない、44年間続いた東西冷戦は終結した(マルタ会談)。
バレッタにある聖ヨハネ大聖堂。会堂の床は騎士たちの墓所となっている。
カラフルで伝統的な漁船ルッツが湾内に浮かぶマルタ最大の漁村の町、マルサシュロック。日曜日の午前中にはとれたての魚や野菜、香辛料、日常衣料品、お土産などを販売する「サンデーマーケット」が開催されている。
住民よりも観光客が多い先進国
マルタは現在、貿易、織物業、電子機器、観光業が主な収益源の先進国である。それらの中でも観光業の占める割合は高く、2019年には年間210万人の観光客が訪れた。この数は、島の住民の数よりも多い。
本島には3つの大きな港があり、欧州最大の港の一つ、グランド・ハーバーは、ローマ時代から存在している港だ。そこにはクルーズ客船やフェリーのターミナルもあり、大勢の観光客を迎えている。また空の玄関口・マルタ空港からは、マルタ航空が欧州と北アフリカの30以上の都市を結んでいる。
マルタの首都であり、魅力的な古都バレッタは、「喜びの宝箱」。街を散歩すればすばらしい建築物だけでなく、騎士団長の宮殿や、聖エルモ砦などのユネスコの遺産、聖ヨハネ大聖堂などを発見することができる。マルタは古い歴史がある分だけ、さまざまな見所も多く、要塞やビクトリア時代の浴場、神殿、防空壕は必見だ。
また言語であるが、マルタ語が第一言語。英語とイタリア語も約9割の人々が話すことができ、フランス語は約2割の人が話す。世界で最も多言語の国の一つだ。
そしてマルタの料理も同様に、イタリアやスペイン、シチリア、プロバンス、マグレブなど様々な国や地方の影響を受け、文字通り「ごった煮」の世界。これが様々な味、食感を生み、特にクリスマスやイースターといったキリスト教の祭日に出されるごちそうに反映されている。伝統料理の「フェンカータ」(ウサギ料理)やマルタワインはぜひ試してみたい。
マルタの伝統的なガラス工芸は、欧州諸国の文化が交じり合うことで固有の美しさを確立。写真のバレッタグラスはイタリアのベネチアングラスの影響を強く受けているという。
海に囲まれたマルタは、とれたての新鮮な魚介類が豊富。マルタ料理やイタリア料理がオススメ。
ロイヤル・マルタゴルフクラブ
フェアウェイの幅10ヤード
世界で最難関のコース?!
マルタに唯一存在するゴルフ場は、ロイヤル・マルタGC(以下RMGC)だ。このコースは1888年、英国のエジンバラ公とマルタの上級海軍将校の保護のもとに設立されたもので、ロイヤルという称号を冠したコースでは、英国以外ではヨーロッパで最も古いゴルフ場である。
マルタは非常に小さな島国のため、ゴルフ場を造るための場所探しが非常に困難だった。だが、最終的にはマルタの騎士団が建設した砦の城壁付近に、最初のRMGCの9ホールが造られた。芝生はほとんどなく、コンクリートで、フェアウェイの幅は約10ヤード。グリーンは歩幅で7歩だったという。風の影響を受けやすく、特にパッティングが難しかったと言われている。
「2打でグリーンには乗るが、カップに沈めるために7打も費やした」
また、難しいのはパッティングだけではなかったようだ。
「ボールは10ヤードの幅の中で真っすぐ打たなければならず、時には目の前の10メートル近い石の壁をクリアしないといけない」
ボール探しも困難で、岩の上によじ登り、うまく見つかった場合はラッキー。また、何ホールかは一般道をまたいで造られていたので、車の往来があると中断しなければならなかった。
ゴルフ協会も発足
発展途上のマルタ
アルフレッド・アーネスト・アルベルト公爵(ビクトリア女王の息子・写真左)と、1888年に英国からマルタに到着したサー・ヘンリー・D’オイリー中将(写真右)により、1888年に同コースが開場。たった1ヶ月で9ホールのゴルフ場を造り上げた。
そんなRMGCは1904年、現在の場所に移転した。依然としてフェアウェイは狭く、グリーンも小さいため、上級者でもハンデ通りのスコアで回ることは難しいそうだ。だが、要塞コースとは違って、コンクリートではなく、芝地でプレーできるようになった点は改善点である。ゴルフは主要なスポーツではなく、予算も限られているため、会員たちは自ら資金を調達し、コースのメンテナンスなどの必要不可欠な仕事を行なわなければならなかった。
RMGCには現在、550人を超える会員がおり、女性やジュニアの会員もいる。中には日本人のメンバーもいるそうだ。一方で、ビジターも歓迎しており、新しいクラブハウス内の更衣室も快適に過ごせる。プレー後の〝19番ホール〟「パターズ・イン」で一杯やるのも楽しいひと時だ。
まだまだマルタでは「ゴルフは金持ちのスポーツで、古臭く退屈なスポーツ。プレー代も非常に高額」という偏見も多いという。だが2006年に設立されたマルタゴルフ協会は、R&AやEGA、IGF、マルタ・オリンピック委員会、政府などと関係を維持しながら、マルタのゴルフ活性化に力を注いでいる。
Text/Susanne Kemper
Photo/Malta Tourism Authority、Royal Malta Golf Club
スザンヌ・ケンパー(スイス)
オーストリア国籍、スイス在住。20年以上にわたって米国、欧州を中心に世界中を旅しながら、ゴルフ誌やライフスタイル誌に寄稿。5ヶ国語を操る。