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「これが最後のマスターズ」
41回目の出場でオーガスタに別れを告げる
ベルンハルト・ランガー

Text/Eiko Oizumi
Photo/Augusta National Golf Club

「マスターズ」で2勝を挙げているベルンハルト・ランガーが、今回を持って「マスターズ」を引退する。

 2024年、「マスターズ」出場41回目を迎えるベルンハルト・ランガーが、自身最後の「マスターズ」となる今大会を前に記者会見に臨み、これまでのキャリアとこの特別な場所への想いを語った。

「800人ほどの小さな村で生まれ、ゴルフという概念すらなかった国からここへたどり着いた。それ自体が奇跡のようだった」とランガー。ゴルフ後進国だったドイツでプロの道を切りひらいた彼は、1985年に初優勝、1993年に2度目の「マスターズ」制覇を果たし、今なお世界中のファンから敬意を集めている。

「3回目の出場で初優勝できたことは、まさに夢が叶った瞬間だった。ドイツにはお手本となる存在もおらず、自分がまさにその第一人者になった。初めてマグノリア・レーンを走ったときの衝撃は今でも忘れられない。あの美しく手入れされたコース、運営の完璧さ。そして年を重ねても、ここは常に進化し続けている。すべてのチャンピオンが感じていることだと思うが、グリーンジャケットを着て、世界中でマスターズを代表できることをとても誇りに思っている」

 ランガーにとって「マスターズ」は単なるトーナメント以上の存在だった。しかし、コースの距離が伸び続け、自身の飛距離が追いつかなくなったことが、今回の決断を後押しした。

「今や、私が3Wやハイブリッドで打っているところを、若い選手たちは8番や9番で打っている。このコースでは、もう競争の土俵に立てないと悟った」と率直に明かす。

「数年前にクラブの会長に、出場に年齢制限はあるのか? と尋ねたところ、“いや、自分でやめる時が来たと感じたら、それがその時だ。完全にあなた次第だ”と言われた。そして今、その時が来たと感じている」

 本来なら昨年引退する予定だったが、大会直前にアキレス腱を切り、欠場を余儀なくされた。その後、今年出場することをモチベーションに、かなり厳しいリハビリに励んだ。普通に歩けること、立つこと、クラブを振ること、そして日常生活を送れることを目標にだ。ただ、これまではほとんどカートでコースをプレーしてきたので、18ホールを歩くとクタクタになるという。

「この起伏のあるオーガスタで5日間も歩いたら、本当に過酷なことになるだろう」と語っている。

 ランガーはそのキャリアの中で4回も「イップス」という困難と戦ってきた。1989年には絶望的なパッティングに苦しみ、「神様、もしこれが終わりなら受け入れます」と祈ったこともある。しかし、信仰と仲間の励ましにより再び立ち上がり、1993年には再び「マスターズ」で優勝を果たした。

「あの時あきらめていたら、今の私はない」と振り返る。
「アーメンコーナーはいつも好きだった。特に13番ホールでは1985年、1993年ともにイーグルを獲って流れを変えた思い出がある」と、コースへの思いも熱い。感情を内に秘めるタイプだというが、「18番ホールでは、きっと堪えきれないだろう」と涙を覚悟している様子も見せた。

「特別な知識があるわけじゃない。でも若い選手が質問してくれれば、喜んで何でも教えるよ」と語るランガー。書籍出版の予定はないが、彼の豊富な経験は今後も語り継がれていくだろう。

 ゴルフに出会ったのは9歳のとき、兄がキャディをしていたゴルフ場で。「最初はお金のためだったけど、すぐにゴルフそのものに恋をした」と語る少年は、今や世界が認めるレジェンドになった。

「ゴルフは人生のようなもの。浮き沈みがあり、時に孤独で、でもやりがいがある。涙を流す価値のある時間を、ここで何度も過ごしてきた」

 ランガーは静かに、だが確かな重みをもって、オーガスタに別れを告げる準備をしている。

ゲーリー・プレーヤー(手前)と練習ラウンドをするランガー。
イップスを何度も経験したが、その後、長尺パターでPGAツアーチャンピオンズ(米シニアツアー)で歴代1位の47勝を挙げている。

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