「この賞は、個人ではなくチームで勝ち取った賞だ」
タイガー・ウッズ 世界ゴルフ殿堂入り
米ツアー82勝、メジャー15勝を挙げ、数々の記録を塗り替えてきた元世界ランク1位のタイガー・ウッズが、ついに世界ゴルフ殿堂入りを果たした。
幼少期のゴルフの思い出や、両親や家族、友人たちへの想いを語り、時々涙ぐむことも……。
タイガーはどんなことを式典で語ったのだろうか?
殿堂入りを果たしたタイガー・ウッズ(左)と、代表スピーチを行なった娘のサムさん。
息子のチャーリーくんとともに、式典会場に入るタイガー。まるでジムに行くような出で立ちなのがユニーク。
世界ゴルフ殿堂式典/2022年3月9日
「世界ゴルフ殿堂」とは、ゴルフにおいて顕著な活躍をした選手、あるいはゴルフの発展に大きく貢献した選手に対して、その功績を称えるために創設された組織。フロリダ州セントオーガスティンにある。過去、日本人では青木功、樋口久子、岡本綾子、尾崎将司が殿堂入りを果たしている。
幼少期から天才ゴルファーとして注目を浴びたタイガーが、人種差別の壁も破りPGAツアー82勝、メジャー15勝の快挙達成
「ゴルフは個人スポーツだが、家族や友人などの助けがなければ殿堂入りはなしえなかった」と語ったタイガー。
母クルチダさん(中央)も出席。手前はチャーリーくん。
左から、タイガー・ウッズ、長女サムさん、長男チャーリーくん、ガールフレンドのエリカ・ハーマンさん。
1年遅れで開催されたゴルフ殿堂入り式典
昨年、コロナ禍で中止された「世界ゴルフ殿堂入り式典」が、今年の3月9日、フロリダ州ポンテベドラビーチで行なわれ、PGAツアー82勝、メジャー15勝の元世界ランキング1位のタイガー・ウッズが殿堂入りを果たした。
彼はスピーチの中で、「ゴルフは個人のスポーツで、今回の賞は個人のものだが、実際はチームの賞だ」とコメント。
苦しい時も支えてくれた母、子供たち、友人たちに、涙ぐみながら感謝の意を表した。
「母がジュニアゴルフイベントに連れて行ってくれなかったら、そして父が僕の夢を追いかけることを応援してくれなければ、このような人生を送ることはできなかった。僕のゴルフ人生は、今まで成功してきたし、世界中でプレーすることもできた。最初の頃の目標は、各大陸で優勝することだったんだ」
「世界中でプレーができ、自分の夢と情熱を追い求める人生を送り、今までいろんな人と築き上げてきた人間関係がある。そして2人の素晴らしい両親もいる。すばらしいコーチ、キャディ、友達にも恵まれた。ゴルフは個人競技だが、一人でここまできたわけではない。すばらしい両親、指導者、友達がいてくれて、彼らは僕がつらい時、人生で最悪な時も僕を許し、支えてくれた。そしていい時も一緒に祝ってくれた。母、サム(娘)、エリカ(ガールフレンド)、チャーリー(息子)、そしてここにいるみんな、本当にありがとう」
タイガーはスピーチの中で、次のような逸話も披露した。
幼少の頃に母から1日にホットドッグ代と、迎えにきて欲しい時に必要な電話代で合計75セントをもらったが、そのうちの25セントは使わずにポケットに忍ばせ、その25セントを元手に仲間とパター合戦。
仲間を次々にやっつけ、25セントコインを巻き上げていたという。
それが、1週間も経つと何ドル分にも増えたというから、やはりタイガーのゴルフの才能は別格だったようだ。
また、人種差別でクラブハウスに入れてもらえなかった過去があったことも明かした。
「クラブハウスに入れなくても、シューズは駐車場で履き替えればいいから別に問題なかった。ただ1番ティーはどこなのか? と、コースレコードはいくつ? と2つの質問だけはしたね。とてもシンプルでしょう?」
「父、タイガー・ウッズの世界ゴルフ殿堂入りを見届けることができて、誇りに思います」―サム・ウッズ
家族を代表してスピーチした長女のサムさん(14歳)。
関係者や殿堂入りした人物の家族、友人で埋め尽くされた会場内。コロナ禍のため、式典は1年延期されていた。
米国のテレビ局のインタビューを受けるタイガー。
過去、世界ゴルフ殿堂入りを果たした選手やゴルフ関係者たち。トム・カイト、ヘール・アーウィン、ベッツィ・キング、アニカ・ソレンスタム、マスターズ前委員長のビリー・ペイン氏などの姿も見える。
タイガーの親友でもあるジャスティン・トーマス(右)も出席。
殿堂入り選手のレティーフ・グーセンと挨拶を交わすタイガー。奥にジュリ・インクスター、ヘール・アーウィンの姿も見える。
世界のゴルフを変えた一人のアジア系黒人の存在
ゴルフ殿堂の壁にサインを書き入れたタイガー・ウッズ。
プロ入り2年目の97年「マスターズ」でプロ初出場、初優勝を果たして以来、黒人のタイガー・ウッズは世界のゴルフを変え、ゴルフの価値観や常識を覆してきた。
自身が輝かしい記録を樹立することで、人種差別を受けることなく楽しめるスポーツとして、ゴルフの価値を高めてきた功績は非常に大きい。
娘のサムさんは、家族を代表してスピーチを行なったが、その中で父としてのタイガーの偉大さを次のように語っている。
「私は祖父のアール・ウッズには会ったことはありませんが、毎日祖父の声を聞いているような気がします。〝一生懸命に努力すれば、ラクに戦えるのだ〟と。これは祖父が父に言っていた言葉ですが、今ではチャーリーと私が、その言葉を父に言われています。それは一生懸命やっていれば、自分の欲しいものを手に入れることができる、ということだけでなく、最後はその努力が報われる、ということも教えてくれます」
「父は今までになく、一生懸命に訓練しています。約1年前に病院のベッドに伏し、2本の足で家に戻ってくるのかどうかもわからない状況でしたが、今、ゴルフ殿堂入りを果たしただけでなく、こうして自分の2本の足で立っています。父はファイターであり、あえて困難を克服していくような人。初めてのブラック&アジア人メジャーチャンピオンであり、幾度の手術を経てマスターズにも5回優勝できました。今日は父、タイガー・ウッズの世界ゴルフ殿堂入りのプレゼンターを務めることができ、誇りに思います」
父親の勝負カラーである赤のドレスに身を包み、大勢の前で堂々とスピーチ。
14歳ながら、大人顔負けのスピーチをやってのけた。
なお今回は、タイガーのほか、前PGAツアーコミッショナーのティム・フィンチェム氏、LPGAツアー11勝、メジャー4勝のスージー・マックスウェル・バーニング、ゴルフ場設計家のマリオン・ホリンズ氏が殿堂入りを果たした。
タイガー人気を支えに、ツアーを発展
地域社会へのチャリティ活動にも注力したティム・フィンチェム氏
世界ゴルフ殿堂入りを果たした、PGAツアー前コミッショナーのティム・フィンチェム氏(左)。デービス・ラブⅢ(右)がプレゼンターを務めた。
「チャーリー・シフォード賞」を受賞した黒人女子プロゴルファーのレネー・パウエル。米LPGAツアーで250試合に出場した。彼女の父ウィリアム・パウエルは、アメリカのゴルフ場を設計、建設、所有した初めてのアフリカン・アメリカン。
1964年にプロ入りし、「全米女子オープン」など、メジャー4勝を挙げたスージー・マックスウェル・バーニング。
タイガーの全盛期にPGAツアーの発展に寄与
タイガーと同じく殿堂入りを果たしたのは、PGAツアーの前コミッショナー、ティム・フィンチェム氏である。
彼は弁護士で、かつてジミー・カーター元大統領の経済顧問を務めたこともあるが、1994年にPGAツアーのコミッショナーに就任。22年にわたってPGAツアーの発展に寄与したのだった。
「私はPGAツアーでの在職期間をとても楽しく過ごした。これ以上ない経験だろう。能力のある人たちと一緒にツアーを築き上げてきたのは、本当に楽しかった。みな頭がよくて、エネルギッシュ。変化し、前進していくことを好む人たち。そして今日、タイガーがここにいるのが嬉しいね」
96年秋にタイガーが登場したことは、フィンチェム氏にとってラッキーだったと言えよう。
ツアーの賞金額はうなぎ登りに高騰し、新規に「世界ゴルフ選手権(WGC)」や「プレジデンツカップ」などの大会も創設。
また、賞金ランキングの他に「フェデックスカップランキング」を設けて、総合優勝者には約10億円のボーナスを授与した。
一方で、地域社会へのお返し(チャリティ)活動にも注力し、地元に根付いたトーナメント運営を促進。
これらのツアーの発展に関する活動が認められ、ゴルフ殿堂入りを果たした。
Text/Eiko Oizumi Photo/PGA TOUR