出身国は異なれど、仲間意識の強いラテンゴルファー大活躍!
アメリカ・カリフォルニア出身のM・ライアンが、PGAツアー・ラテンアメリカでプロ入り後、初優勝を遂げた。
メキシコで開催された「エストレヤ・デ・マー・オープン2022」で優勝したマット・ライアン。
ラテン系の若手が世界のツアーを席巻
現在、ラテンゴルフ界には前途有望な若手と、確固たる地位を築いているベテラン勢が混在している。
出身国や出身大陸は違っていても、同じ言葉を使う、世界ランクトップ100に入る12人のラテン系ゴルファーが世界の頂点で戦っているが、何より素晴らしいのは、将来有望な新しいラテンゴルファーが、次々に誕生していることだ。
ラテンゴルフの時代が来ている……とまでは言わないが、数字や統計上ではそうなりつつある。
男子メジャー「マスターズ」でも、スペイン語圏の選手の存在がますます大きくなっているのを目の当たりにした。
スペインのジョン・ラーム、セルヒオ・ガルシア、ホセ・マリア・オラサバルは別として、ラテン系の3選手が自国の新聞の一面を独占した。
チリのホアキン・ニーマン、メキシコのエイブラハム・アンサー、そしてケイマン諸島から初めてオーガスタにやってきた若きアマチュア、アーロン・ジャービスだ。
異なる出身国でも仲良しのラテン系選手
今年の「マスターズ」での練習風景。スペインのジョン・ラーム(中央)、「マスターズ」チャンピオンのセルヒオ・ガルシア(右)、ケイマン諸島のアーロン・ジャービス(左)がともに練習ラウンド。
今季、「ジェネシスインビテーショナル」でツアー2勝目を飾った、チリのホアキン・ニーマン。フェデックスカップでは現在13位、世界ランキング16位につけている。
ホアキン・ニーマン(23歳)は、すでに夢のような生活を送っている。
彼の憧れであり友人でもあるセルヒオ・ガルシアのもとで、マネージャーやトレーナーを共有している。
過去の「マスターズ」では、タイガー・ウッズと2日間、ラウンドを共にする機会があったが、「タイガーのような憧れの人と一緒にプレーして、あんなに近くにいられるなんて、夢がかなったような気分だ。
それにセルヒオは素晴らしい友人であり、私のキャリアを助けてくれている。
オーガスタでは、私がまだアマチュアだった頃に何度も練習ラウンドをして、コース攻略のカギを教えてもらった」と語っている。
チリ出身のニーマンは、世界アマチュアランキングで1位となり、2018年「ラテンアメリカアマ」で優勝して、「マスターズ」への招待を受けた。
そして、それ以降、PGAツアーのプロとして「グリーンブライヤー・クラシック」と「ジェネシス招待」で2勝を達成し、チリ史上最高の選手となったのだ。
「PGAツアーでは、ラテン系は非常にコンパクトなグループを形成している。出身も世代も異なるにもかかわらず、我々は非常に親しい友人であり、一緒に多くの時間を過ごし、やってくる人たちに門戸を開いているんだ」。
ニーマンと同胞のミト・ペレイラの活躍で、この3年間で自国のファンも増えた。
テキサス生まれのメキシコ人、エイブラハム・アンサー(31歳)は、2020年11月開催の「マスターズ」では、自己最高の67ストロークを記録して13位タイという素晴らしい成績を収めたが、今年の「マスターズ」では自己ワーストの結果(予選落ち)となった。
昨年は「WGCフェデックス・セントジュード招待」で松山英樹を含む3選手によるプレーオフを制したことにより、メキシコ史上4人目の米ツアー優勝を達成している。
なお彼は、ウェブ・ドットコムツアー(現コーンフェリーツアー)の「ノバスコティアオープン」(2015年)で優勝し、2018年には「エミレーツオーストラリアンオープン」で優勝している。
アマチュアのアーロン・ジャービスにとって、「マスターズ」出場は夢だった。
史上初めて、ケイマン諸島の選手がオーガスタにやってきたのだ。
そして練習日には、友人であり憧れの選手でもあるジョン・ラームやセルヒオ・ガルシアと一緒に練習ラウンド。
「この2日間は、僕にとって信じられないものであり、オーガスタ自体に驚きました。雰囲気や人々、すべてが私には素晴らしいことに思えたのです。さらに、その歴史的な意味を知り、ここでプレーする機会を得られたことは、私にとって信じられないことのように思います」と、ネバダ大学ラスベガス校に通う19歳は語った。
彼は、6月の「全米オープン」最終予選会への出場権利と、7月14日~17日までセントアンドリュースで開催される第150回「全英オープン」でプレーする機会も獲得している。
2人の偉大なレジェンドに別れを告げる
右から2番目の人がカルロス・セレス。スペインゴルフの先駆者だ。
1995年、ロンドン郊外のウェントワースで開催された「ボルボ・PGA選手権」にて。左からデビッド・ファハティ(現在はコメンテーターとして活躍)、エドアルド・ロメロ、セベ・バレステロス、ホセ・マリア・オラサバル。
アルゼンチンのエドアルド・ロメロとスペインのカルロス・セレスは、ラテンゴルフにおいて大きなレガシーを残した。
アルゼンチンゴルフ史上最高の選手の一人で、〝エル・ガト〟の愛称で知られたエドアルド・ロメロ(享年67歳)はリンパ系のがんのため死去した。
セベ・バレステロス、J・M・オラサバル、ニック・ファルド、ベルンハルト・ランガーなどと欧州ツアーで肩を並べていた選手である。
彼は、これまで80回以上の優勝経験があり、1985年から欧州ツアーで8勝、2008年「全米シニアオープン」を含むチャンピオンズツアー(米シニアツアー)で5勝を挙げているが、そのほとんどが母国での優勝である。
ロメロは冗談が好きで社交的。その才能は後に政治にも生かされ、故郷のビージャ・アジェンデ(コルドバ州)では共和党の提案で市長になったが、ゴルフコースではそのパンチ力が際立っていた。
カルロス・セレス(享年92歳)は、スペインのプロゴルファーのパイオニアであり、1972年にスペインPGAを創設した人物である。
彼は1990年、スペインゴルフ功労賞(金メダル)を受賞。ゴルファー版・父子鷹であり、中でもエドアルド・セレスは、ジョン・ラームが幼少の頃にコーチをしていたこともあって、今でもラームがバスク地方に帰省した際には、会いにいく。
また、彼の数々の優勝に加え、1954年にオーストラリアで開催された「ワールドカップ・フォー・カップル」にセバスチャン・ド・ミゲルと共に出場したことは、スペイン代表初の国際大会への公式参加として特筆すべきことであった。
Text/Isabel Trillo Amores
イサベル・トリロ・アモーレス(スペイン)
PGA・オブ・スペインのコミュニケーションディレクター。80年代後半からゴルフ取材を始め、その数は世界250試合以上。ゴルフのラジオ番組も手がける。