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【日本のゴルフ黎明期を支えた幻のゴルフ場】第12回「東雲ゴルフクラブ」

1901年に最初の4ホールができた日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」のように、現存するコースもあるが、中には消滅し、姿を変えているところもある。
そんな「幻のゴルフ場」を探訪する。
第12回は東雲ゴルフクラブを紹介する。

Before

東雲ゴルフクラブ

写真提供/東雲ゴルフクラブ

11番ティーの風景

1961年4月に撮影された、「日本女子ゴルフ同好会」のメンバー。28人の女子ゴルファーは、つまり女子プロ一期生である(出典/社団法人日本女子プロゴルフ協会20年の歩み)。

写真提供/東雲ゴルフクラブ

東雲ゴルフクラブ全景の空撮

Now

有明テニスの森公園付近

かつてのゴルフ場は「ジャパンオープンテニス選手権」や「東レ・パンパシフィックオープン」を開催するテニスコートに変貌

有明テニスの森公園は、東京都江東区にある都立の海上公園。東雲ゴルフクラブの跡地に1983年5月14日に開園した。園内にはテニスコート、芝生広場、ジョギングコース、遊歩道があり、1万人を収容する有明コロシアムが併設されている。

写真提供/清流舎

現在、ゴルフ場跡地周辺の有明の森公園付近は、タワーマンションが立ち並んでいる。

※参考文献 『日本のゴルフ100年』(日本経済新聞社)『田野辺薫の名コースめぐり』(桜ゴルフ公式HP)『社団法人日本女子プロゴルフ協会20年の歩み』

JR東京駅から最も近いゴルフ場といえば、若洲ゴルフリンクス(東京都江東区)。京葉線新木場駅まで電車で10分。
そこからクラブバスで約10分という至近距離だ。
一時は東京五輪のゴルフ会場候補としても名が挙がったから、ご存じの方も多いだろう。

しかしその若洲よりもさらに4キロ西寄りで東京駅から車で15分圏内にゴルフ場があったことをご存じだろうか。
その名は「東雲ゴルフクラブ」(以下東雲GC)。
今から70年前、1952(昭和27)年に現在の有明テニスの森周辺の埋立て地16万坪にオープンしたゴルフ場だ。

設計は、東京GC朝霞コースや川奈ホテルGC、廣野GCなどを手掛け、日本のゴルフ場設計の基礎を作ったチャールズ・ヒュー・アリソンの流れをくむ名匠・井上誠一。
『田野辺薫の名コースめぐり』(桜ゴルフ公式HP)によれば「所管は、東京港湾局、(株)東雲スポーツセンターが都から用地を借り、東雲ゴルフクラブを創立。理事長は元東京都長官(今の都知事)松井春生」が就任した。

フラットな埋め立て地ながらグリーン周辺にはアンジュレーションもあり、バンカーも施されたコースには、東京湾岸名物の風も吹いた。
アクセスが良いだけに、要領よく仕事を片付ければ平日でもプレーは可能。
18ホール、6530ヤード・パー72のコースは、多くのゴルファーを虜にした。

一時期、中村寅吉、石井朝夫、小野光一、川波義太郎といった強豪、トッププロのほか、岸信介、佐藤栄作といった著名政治家もプレーした。
東雲ゴルフ場開場の翌年、コースの東側には東雲飛行場も造られた。

東雲には、もう一つの顔がある。
現在男子をしのぐ賞金と人気を誇る日本女子プロゴルフ協会にとって、このゴルフ場は「聖地」と言っていい存在だ。
この東雲が、日本の女子プロゴルファーが第一歩を記したゴルフ場であるからだ。
JGA(日本ゴルフ協会)のホームページにこんな記述がある。

「『日本のゴルフ場で働く女性の従業員は働き放しでなにもない。アメリカには女子プロがある。日本でもキャディを中心にしたプロに準ずる同好会組織を作ってもらえないか』と切り出したのは女子プロ一期生の原田経子さんだった。この話を耳にしたゴルフショップの経営者、松島杲三氏が物心両面から女子プロの育成を支え始めた。松島氏は元来アイスホッケーの選手だったのが、『ゴルフを覚え、愛着があった』(松島さん)ことがゴルフ界に顔をだすきっかけだった。松島氏は将来女子プロを夢見る二瓶綾子ら、ゴルフ場のキャディとして働く若い女性30人による同好会を結成。有明のテニス場周辺にあった東雲(しののめ)ゴルフクラブで発会式を挙行した。この同好会で開かれた月例競技や研修会にかかる経費は、松島氏が捻出した」

日本女子ゴルフ同好会。正式には「第1回全日本ゴルフ場女子従業員選手権大会」と銘打たれ、28人の〝女子プロの卵〟が参加した(右ページの集合写真は「社団法人日本女子プロゴルフ協会20年の歩み」より)。
優勝は二瓶綾子。1974(昭和49)年の日本女子プロ協会創立以来、6期理事長を務め、法人化が承認された1987年からは会長を務めた人物だ。

しかし、東雲GCはもともと10年期限の借地契約だったため、湾岸道路計画が発表されると移転の噂が広がる。
会員たちは移転先を求め、2つのグループに分かれ、大浅間GCと嵐山CCをオープンさせた。
しかし、実際に臨海開発のために都に用地返還するべく閉鎖したのは、1981(昭和56)年の12月。
3年後には栃木に移り、東雲GCとして再スタートしており、都内にあった頃の写真もクラブハウス内に掲示されている。

Text/Akira Ogawa

小川 朗
東京スポーツに入社後、ゴルフ担当を長年務め、海外特派員として活躍。男女メジャー取材も25試合以上。日本ゴルフジャーナリスト協会会長。

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