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【日本のゴルフ黎明期を支えた幻のゴルフ場】第14回「ICUゴルフコース」

1901年に最初の4ホールができた日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」のように、現存するコースもあるが、中には消滅し、姿を変えているところもある。
そんな「幻のゴルフ場」を探訪する。
第13回はICUゴルフコースを紹介する。

Before

ICUゴルフコース

写真提供/ICUアーカイブズ

昭和39年10月にオープン。高齢者、女性も容易にラウンドを楽しめるように、「攻めるより楽しめる」コース造りをしたという。

写真提供/ICUアーカイブズ

当時の練習場。200ヤード先に看板が設置されている。

写真提供/ICUアーカイブズ

三鷹市郊外に広がるICUゴルフコース。敷地面積は18万坪。全長6456ヤードの広大な本格的コースだった。

Now

​​都立野川公園

撮影協力・写真提供/都立野川公園

春には桜、秋にはイチョウの黄葉も楽しめる、武蔵野の開放感溢れる広大な都立公園

昭和55年に開園した、豊かな水と緑に恵まれた野趣に富む公園。前身は国際基督教大学のゴルフ場で、「武蔵野の森構想」の元に造成が行なわれた。調布、小金井、三鷹の3市にまたがり、3つの地区に分かれている。西武多摩川線「新小金井」または「多摩」で下車し、徒歩15分。

撮影協力・写真提供/都立野川公園

豪雨の時など、大量の雨水が河川に一度に流れ込まないよう、この公園には地下に貯水できるシステムを導入している。

撮影協力・写真提供/都立野川公園

家族でのんびり過ごせる、「いこいの広場」。

野川公園を歩いてみると、そこがゴルフ場であったことがよく分かる。
各ホールが容易にイメージできるだけの面影が、公園内に色濃く残っているからだ。

当時の様子が文献に残っている。
「コースの木々は武蔵野のシンボルである。カートを引く雑木林の細道は夏も涼しい。野川に群れるセキレイやムクドリ、オナガもここでは人を恐れない。緑を横切る野ウサギや透き通るように黄色いテンを見たこともある。台地からのコンコンたる湧水に手を浸してみた人も多いだろう」(「ICU NO.5 OCTOBER.1971」より)。

都心から西に車で30分。東京都三鷹市大沢にゴルフ場がオープンしたのは1964(昭和39)年のこと。
当時、ここは国際基督教大学(ICU)の敷地内だった。
総面積36万坪。そのうちの18万坪に向こう10年間は使用予定がなかったため、有効活用の目的でゴルフ場の建設話が持ち上がった。

「大学の財的支援の一助にするため、ここにゴルフコースを建設して、ICU後援会会員、その他別に定めた規定による者の使用に供することといたしました」(「ICU GOLF COURSE」より)。

設計は軽井沢ゴルフ倶楽部などを手掛けた小寺酉二氏。
高齢者や婦人も容易にラウンドできるよう、ほとんど平坦な高麗芝の1グリーンを採用し、バンカーも少なくしたという。
また管理を簡素化するため、グリーン以外はすべて同一の機械で刈れるように配慮された。

1963年12月に18万坪の敷地を使ってコースの測量、伐採工事に着手し、翌年の3月には芝張り工事を開始。
この年の10月にオープンした。このコースを実際にプレーした方に直接お話を伺うことが出来た。
元日本ゴルフツアー機構(JGTO)副会長の諸星裕氏だ。
同氏はICUの卒業生で、在学中に、たびたびプレーしたという。

「初めてゴルフクラブを手にしたのが大学のゴルフ場。ゴルフ部のヤツに教わってプレーしていました。学生は月1回、50円でプレーできたんです。目土をすると、2回目も50円。ラーメンも50円から70円という時代でしたね。露天のエスカレーターがあったのを覚えています。コース全体が高い所と低い所に分かれていて、クラブハウスの方は低くて、比較的平らで木は少なかったですね。エスカレーターで上がった上の方はキャンパスと同じ高さで森が多かったと思います。授業を受けていると教授たちが窓越しに、手引きカートでプレーしているのが見えました」。

初期の村上春樹作品には、この頃のICUの記述が少なからず登場、ネット上でも話題になっている。

「村上氏の小説『1973年のピンボール』のゴルフ場がICUゴルフコースであるということを証明する資料はICUアーカイブズにはありません。しかし、ネットで分かるように、村上氏が1969年から1971年まで三鷹に居住していたことは確かですし、『羊をめぐる冒険』ではICUという名称を出してキャンパス内で時間を過ごしたことについて書かれていること、『1973年…』の中のゴルフコースの描写(8番ホールが障害物が少ないPAR5であり、11番ホールがドッグレッグであること、露天のエスカレーターがあったことなど)が一致していることなどから、個人的には間違いないと考えています」
(ICUアーカイブズ・松山龍彦氏の話)。

「ICUのコースは素朴でしたが、考えてみると贅沢でしたね」
(前出の諸星氏)。

ゴルフ場は1974年12月24日、東京都へ公園地として譲渡され、翌年3月31日に9ホールへと縮小される。
同年6月1日に野川公園が開園。
1976年3月31日、練習場を除いたコースがついに全面閉鎖となった。
武蔵野の自然に抱かれたゴルフ場が、今は幻となってしまったことが、残念でならない。

Text/Akira Ogawa

小川 朗
東京スポーツに入社後、ゴルフ担当を長年務め、海外特派員として活躍。男女メジャー取材も25試合以上。日本ゴルフジャーナリスト協会会長。

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