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【Legends of Golf Vol.22】タイガー・ウッズ メジャー15勝、PGAツアー82勝の記録を持つ史上最強のゴルファー

ゴルフ界隆盛の礎を築いたレジェンドたちの栄光を振り返る「Legends of Golf」。

過去にはジャック・ニクラスやアーノルド・パーマー、ベン・ホーガンら、ゴルフの歴史を築いてきたレジェンドが数多くいるが、その中でも「史上最高の選手」と称されるタイガー・ウッズ。
現在は交通事故のケガの影響で、試合からは遠ざかっているが幼少の頃から注目され、アマチュア時代から大活躍を遂げてきたタイガーの栄光の過去を改めて振り返る。

Tiger Woods

©Getty Images

タイガー・ウッズ(アメリカ)
1975年12月30日生まれ。185cm、84kg。全米アマチュア選手権3連覇の後、1996年にプロ転向。PGAツアー勝利数は歴代1位タイの82勝。メジャー勝利数は、歴代2位の15勝。史上2人目のトリプルグランドスラム達成。現在は、コース設計やチャリティ活動に積極的。2022年世界ゴルフ殿堂入り。

過去にはジャック・ニクラスやアーノルド・パーマー、ベン・ホーガンら、ゴルフの歴史を築いてきたレジェンドが数多くいるが、その中でも「史上最高の選手」と称されるタイガー・ウッズ。
現在は交通事故のケガの影響で、試合からは遠ざかっているが幼少の頃から注目され、アマチュア時代から大活躍を遂げてきたタイガーの栄光の過去を改めて振り返る。

©Eiko Oizumi

↑2019年、日本開催のPGAツアー「ZOZOチャンピオンシップ」で優勝し、サム・スニードと並ぶ、PGAツアー通算82勝を達成。歴代1位タイに。

ジャック・ニクラスの功績リストを貼り付け、自分も達成したいと心に誓ったタイガー・ウッズ

©Getty Images

ジャック・ニクラス(右)に憧れ、彼の記録を塗り替えることを目標に戦ってきたタイガー。写真はニクラスがホストを務める2012年「メモリアルトーナメント」で優勝した時のもの。

©Getty Images

タイガーには得意とするトーナメントがいくつか存在するが、「アーノルド・パーマー招待」では8勝を挙げている。右は生前のアーノルド・パーマー。

©Getty Images

2021年2月下旬、ロサンゼルス近郊での単独の交通事故で瀕死の重傷を負ったタイガー。ジェネシスGV80を運転していた彼は、中央分離帯を乗り越え、対向車線を横切り、何度も横転。道路から数百フィート離れた場所で停止した。

度重なるケガと手術を乗り越えたタイガーのこれまで

タイガー・ウッズについて1冊の本を書くことは可能であり、実際、いくつかの本が存在するが、彼の生涯とキャリアを数段落にわたる短い要約で簡潔にまとめることはほとんど不可能に思える。
彼の才能は計り知れず、彼の功績は多岐にわたって驚異的なものであるため、彼のゴルフとスポーツ全体への影響については、表面的にしか触れることができない。

しかしここでは、アーノルド・パーマー以来、最も影響力のあるゴルファーであり、ジャック・ニクラス、ボビー・ジョーンズ、オールド・トム・モリスなどと並んで、おそらく他にほんのわずかしかいない、最も影響力のあるゴルファーの一人について、現在わかっていることからまとめてみようと思う。

タイガーはもうすぐ48歳になるが、現役の競技ゴルファーとは見なされなくなっている。
一連の背中とヒザの手術、さらに最近では2021年2月に瀕死の重傷を負った自動車事故によって、右足を粉砕骨折。
複数の手術を受けて以来、彼の競技ゴルフの能力が制限されているのだ。
ロサンゼルスでの単独事故以降、PGAツアーの公式試合にはわずか5回しか出場しておらず、4回は予選通過しているものの、そのうち2回しか完走していない。
今年は、「マスターズ」後に再び足の手術を受けたため、今シーズンの出場の見込みはない。
「マスターズ」では予選通過を果たしたものの、寒さのため、雨の降る第3ラウンドが中断された後に棄権している。

彼が一連の背中の手術を受け、2016~17年の大半を戦列から離れていたことを考えると、その後彼がトップレベルの競技ゴルフに復帰できたこと自体、奇跡のようなものだった。
彼は友人に、自分のキャリアは終わったかもしれないと語ったことがあったが、驚くべきことに彼は復活し、2018年の「ツアー選手権」で5年ぶりの優勝を果たした。
その後、2019年「マスターズ」で14年ぶりに優勝し、5回目のグリーンジャケットを獲得したのだった(前回は2005年)。
また、その年の後半に、彼は再び皆を驚かせた。
もう一度ヒザの手術を受け、そのわずか1か月後、日本(千葉)で行なわれた「ZOZOチャンピオンシップ」で優勝。
日本の松山英樹に3打差をつける完全優勝によって、勝利数はPGAツアー史上最多タイの82勝となり、サム・スニードと並んだのだ。

タイガーがスニードの記録に並んだ後で、ジャック・ニクラスは次のように書いている。

「タイガー・ウッズは13か月前に『ツアー選手権』で自らの努力を証明し、『マスターズ』でそれを大胆に強調。スニードの記録と並ぶ(ZOZOチャンピオンシップの)勝利でそれを締めくくった。82回の勝利は、24年間の彼のゴルフの一貫性と、強さだけでなく、精神的な強さをも反映している」

幼いタイガーが本格的にゴルフに取り組み始めた時、インスピレーションを与えたのはジャック・ニクラスだった。
この若者は、カリフォルニア州サイプレスの自宅の寝室のクローゼットのドアに、ニクラスの功績リストを貼り付け、自分も将来、最終的にこれらの記録を達成したいと願った。
父アールは、まだよちよち歩きだった頃の彼にゴルフを教え、あらゆるレベルでタイガーは一世代に一人の才能であることを証明した。

球聖ボビー・ジョーンズを上回るアマチュア時代の実績

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1998年タイ・ブルーキャニオンCCで開催された「ジョニーウォーカークラシック」で優勝したタイガー(中央)。左は母クルチダさん、右は父アールさん。

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タイガーは「全米アマ」で1994~1996年に3連覇を果たし、歴史的快挙を達成。アマチュア時代から無敵だった。

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2000年、ペブルビーチで行なわれた「全米オープン」では、2位のアーニー・エルスらに15打差をつけて歴史的大勝利。母クルチダさん(右)も会場で祝福。

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2009年にはフェデックスカップで年間総合優勝を果たしたタイガー。ライバルのフィル・ミケルソン(左)はツアー最終戦の「ツアー選手権」で優勝した。

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2019年、豪州のロイヤルメルボルンで開催された「プレジデンツカップ」ではプレーイングキャプテンを務め、米国チームを勝利に導いた。

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タイガーの周りには、常に大勢のギャラリーが集まり大騒ぎ。サインをもらえた人はラッキーだ。

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2022年、聖地セントアンドリュースでの「全英オープン」の最終ホールでティーショットを放つタイガー。「もしかしたらこれが聖地では最後のプレーかも」という言葉を残して、コースを後にした。

幼少の頃からゴルフの才能を発揮。
世界ランク1位の座を683週キープ

1975年12月30日、エルドリック・トント・ウッズ(父アールがベトナム戦争中に仕えた友人にちなんで「タイガー」というニックネームがつけられた)として生まれたタイガー・ウッズは、アール&クルチダ・ウッズ夫妻の一人息子だ。
アールは主にアフリカ系アメリカ人の血を引いており、米陸軍士官としてベトナムで2度の従軍経験があった。
2度目の従軍中にタイ出身であるクルチダ・プンサワッドと出会ったのだった。

タイガーは幼少期から驚異的な才能を示し、全米ゴルフ協会の試合に出場して広く知られるようになった。
1991年、わずか15歳で、彼は驚異的な6連勝を達成し、「全米ジュニア」で3勝、続いて「全米アマ」でも3勝を果たした。
ボビー・ジョーンズでさえこれほどの成績を収めたことはない。
これはもちろん、まだ駆け出しの頃の話だ。
タイガーはアマチュア時代にスタンフォード大学でNCAAタイトルも獲得し、1996年に「全米アマ」で最後の優勝を果たした翌週にプロ転向した。
PGAツアーでの初優勝までには5試合を要したが、5試合目の「ラスベガス招待」で、ベテランのデービス・ラブⅢをプレーオフで破って優勝した。

翌年、彼はさらに4勝を挙げたが、それには「マスターズ」で2位に12打差という記録的な差をつけて飾ったメジャー初優勝も含まれている。
このような見事なパフォーマンスは他の試合でも次々に見られ、2000年のペブルビーチでの「全米オープン」では15打差で優勝。
その1か月後のセントアンドリュースでの「全英オープン」では8打差で勝利し、キャリア・グランドスラムを達成した。
時折ケガによってペースを落とすことはあったものの、タイガーはゴルフ界において圧倒的な強さを失うことはなかった。
彼は1997年に世界ランキングで初めて1位に上り詰め、683週にわたってその座を保持。
グレッグ・ノーマンが持っていた331週の記録を2倍以上上回っている。
この記録には2005年6月12日から2010年10月30日までの281週連続1位記録も含まれる。
他に100週以上、ナンバー1の座を維持したのは、ダスティン・ジョンソンとローリー・マキロイの2人だけである。

683週連続世界ランク1位、142試合連続予選通過など、
前人未到の記録を数多く保持するスーパースター

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2019年「マスターズ」で11年ぶりのメジャー優勝を果たした。これでメジャー15勝(マスターズは5勝)を達成。

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2008年、左ヒザに痛みを抱えながら、トーリーパインズGCで開催された「全米オープン」でプレーオフの末、優勝。最終日の最終ホールで、首位のロッコ・メディエイトに追いつき渾身のガッツポーズを繰り出した。

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「試合には勝つために出場している。勝つ見込みのない試合には出ない」と語ってきたタイガー。今年は「マスターズ」の1試合のみに出場したが、その後手術を受け、年内復帰は不可能と見られている。

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2022年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしたタイガー・ウッズ。長女のサムさん(右)が式典に出席し、スピーチを行なった。

メジャー15勝を達成し大統領自由勲章を受章

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もはやメジャー優勝は難しいと思われていたタイガーが、2019年「マスターズ」で優勝した直後に、ドナルド・トランプ米国大統領(当時)から「大統領自由勲章」を授与された。トランプ夫妻(右2人)やウッズファミリーと記念撮影。当時のガールフレンド、エリカ・ハーマンさんの姿も(左)。

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以前は、年配のプロ仲間と時間を過ごすことが多かったタイガーだが、現在はジャスティン・トーマス(中央)やローリー・マキロイ(右)らと親交を深めており、PGAツアーの発展のために注力している。

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PGAツアー非公式試合「ヒーロー・ワールドチャレンジ」のホストを務めるタイガー。松山英樹(右)も優勝したことがある。このほか、「ジェネシス招待」(PGAツアー公式試合)でもホストを務めている。

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長男のチャーリーくん(手前)とのゴルフの時間が、何よりも大事だと語るタイガー。年に一度、親子でペアを組んで「PNC選手権」に出場している。

©Tiger Woods Design

コース設計にも熱心。アメリカだけでなく、メキシコ、バハマのゴルフ場も設計し、フロリダにはパッティングコース、ペブルビーチではパー3コースを設計している。ゴルファーの裾野を広げることが目標。

©TMRW SPORTS

ローリー・マキロイ(中央)とともに共同会社「TMRW(トゥモロー)スポーツ」を創設。PGAツアーと提携し、テクノロジーを駆使した新しいゴルフリーグ「TGL」を発足させた。「TGL」は2024年1月から開始予定。月曜日の夜、特設会場からチーム対抗戦を生中継する。

彼は他にも多数の記録を保持しており、その中には142大会連続予選通過記録も含まれる。
PGAツアー年間最優秀選手に贈られるジャック・ニクラス賞を11回受賞し、ツアー歴代最高の賞金(約1億2100万ドル)をも獲得した。
コース外では、10億ドル以上を稼いだと推定されているが、その数字に達した史上初のアスリートがタイガーである。

ニクラスのメジャー18勝の記録には追いついていないが、彼はメジャーで15勝しており、歴代2位の記録を持っている。
2019年の「マスターズ」での記念すべき優勝の後で、彼は次のように語っている。

「こんな形で戻ってくる機会を得られたことは、私がこれまでに経験した中で間違いなく最大の勝利の一つ。本当に信じられない出来事であり、素晴らしい」

しかし、彼は何十年にもわたって驚異的なことを成し遂げてきた。
直近の「マスターズ」での勝利から1か月後、彼はドナルド・トランプ大統領(当時)から自由勲章を授与されたが、これはゴルファーとして4人目の受章だった。
また、彼は驚異的な競技人生に加え、ゴルフ場の設計も始めている。
さらには、プロ転向直後にタイガー・ウッズ財団を設立することで、別の方法でも影響を与えている。
現在はTGR財団として知られるこの慈善団体は、都市部の子どもたちにゴルフを奨励することを目的に始まったが、十分なサービスを受けていない若者に大学進学プログラムを提供している。

タイガーは2022年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしたが、それは彼が2歳の時にハイチェアに座りながら、父親がゴルフボールを打つのを見ていた幼児の頃からずっと持ち続けてきた目標のようにも思える。
彼はまさに、自分が成し遂げるべき偉大さのために生まれてきたのだ。

O嬢・タイガーの全盛期を振り返る

©Eiko Oizumi

タイガーはティーショットを大きく曲げることも多いが、リカバリーショットでピン側につけ、観客から大きな歓声が湧くこともしばしばだった。

タイガーのパワフルなショットを撮影する怖さと快感

タイガーといえば、アスレチックなスイングから繰り出す、ずば抜けたドライバーの飛距離が魅力の選手だったが、一方でティーショットを大きく曲げることも多かった。
彼の全盛期の2000年代にメジャーやPGAツアーに頻繁に赴き、彼の写真を撮っていた私が、実はいつも感じていたことがある。
それは、ティーショットを大きく曲げて、林の中、あるいは深いラフなどからリカバリーショットをする際、最前線でショットを撮影するのが怖いのと同時に、鳥肌が立つほどの快感を味わっていたということだ。

彼ほどのパワーでトラブルライから力いっぱいスイングすれば、出球の勢いも当然速いし、あんな球が自分に直撃したら即死だろう。
他のカメラマンたちも同じ想いで、接近戦で撮影していたと思う。
だが一方で、「世界一のタイガーが打つショットなのだから、シャンクやプッシュアウトなどのミスは出ないだろう」と信じて、タイガーが「もう少し下がって」という、ギリギリの近距離でスリルのある撮影をしていたものだ。
球がものすごい勢いで飛び出して行くのを音で確認し、フィニッシュまでシャッターを切った後は、観客たちの歓声でベタピンにつけるスーパーショットだったのかどうかを察知する。
観客のショット後の掛け声や反応が大きければ大きいほど鳥肌が立ち、タイガーのショット技術の凄さを肌で感じたものである。

大勢のエネルギッシュな観客を引き連れるタイガーでなければ、ここまでのスリルと快感を感じることはないのかもしれない。
実際、最近の若手トップランカーのショットにこのような感覚を覚えることはないが、彼の全盛期にこうして彼のショットを間近で体感できたことは、本当にラッキーだった。

度重なるケガと手術で選手寿命が短くなってしまったのは非常に残念だが、間違いなく彼は史上最強のゴルファーであり、エンターテイナーである。

Text/Dave Shedloski

デーブ・シェドロスキー
(アメリカ)

長年にわたり、ゴルフトーナメントを取材。著書にアーノルド・パーマーの伝記『A Life Well Played』やジャック・ニクラスの『ゴールデン・トワイライト』などがある。

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