色のない街
2023年8月8日に発生した大規模火災から5ヶ月……ラハイナの今をレポートする
昨年8月、ハワイ・マウイ島の古都ラハイナで森林火災が発生し、100人以上の死者を出した。
日本でも連日報道されていたのでご存じの方も多いだろう。
あれから5ヶ月―PGAツアーの大会を開催したもののラハイナでまだ復興していない現状を目の当たりにした。
空港からカパルアへ向かう道中に受けた衝撃
年末、あるいは年明け早々に取材に出かけるのがルーティーンの「ザ・セントリー」。仕事とはいえ、真冬の寒い日本を抜け出し、ハワイ・マウイ島へ向かうのは、少なからずワクワクした気持ちを抱くものだが、今年は少し勝手が違った。
昨年の夏に発生した、マウイ島ラハイナの大火災で、よく食事に出かけたラハイナの街が焼き尽くされてしまったからだ。
航空写真を見る限り、よく行っていた海辺のハンバーガー屋やバーなども消失してしまったのはわかっていた。
マウイ島・カフルイ空港からカパルアへは、約1時間ほどの道が続くが、ラハイナの街に近づいた時、ある光景を見てショックを受けたものである。
それは、道端に飾られていた、無数の遺影だ。
若い女性のものが多かったように記憶しているが、火災で亡くなられた方々の遺影が約1キロにわたってズラリと並び、花が飾られていた。
場所によっては墓碑のようなものが置かれているエリアもあった。
今もその光景を思い出すたびに、非常に悲しい気持ちになる。
のどかで、賑やかな雰囲気のマウイの古都・ラハイナで、これだけの人たちが犠牲となったのだ。
また、遠目に焼け落ちたラハイナの街も確認できた。
以前はカラフルな木造の建物もあったラハイナだが、今は色のない灰色の街。
カパルアへの道中、枯れた木々や焼き尽くされた建物、車が、そのままの状態で放置されていたが、これもまたあまりにも生々しく、悲惨な状態だった。
また、道端には「MAUI STRONG」「LAHAINA STRONG」と書かれた復興を願う絵画や看板なども多く掲げられていたが、復興の兆しは、あまりないように感じられた。
カパルアゴルフの支配人を務めるアレックス・中島氏によれば、「この状況が落ち着くのは、まだまだ先のこと。おそらく3~5年はかかると思う」とのことだった。
ラハイナは今どうなっているのか?
現在、ラハイナの街は立ち入り禁止になっており、住民でさえも立ち入り不可能になっているという。
本来であれば、仮設住宅が建てられたり、火災現場の焼き尽くされた建物や車などの廃棄物を処理し、地ならしした上で、新しい街の再建に取りかかりたいところだろうが、中島氏によれば「土地の所有者ごとに許可を取って、廃棄物や灰の処理などをしなければいけないので、そのエリア全体をブルドーザーを使って一気に片付けたり、整理するということができず、足並みが揃っていない。
電気自動車などのバッテリーも燃えたので、汚染された土壌をどこへ持っていくかも問題になっている」ということだ。
緊急事態宣言が発令されると、避難所やシェルターのような場所もできたそうだが、リッツカールトン・カパルアや、カアナパリにある高級ホテルが、国からのサポートもあり、被災者たちに開放された時期もあった(今でもホテル暮らしを続けている家族は、1000家族はあるという)。
また、国家の予算で支援が今も続き、食料品が被災地に届いている。
ただ、半年近く経った今でも、工事車両や、現場作業員がラハイナエリアに出入りする程度で、復興作業はあまり進んでいないらしい。
ラハイナの早期の復興は、実際難しいようだ。
ラハイナが復興するまでにはあと3〜5年は、かかる見込み
カパルアゴルフの取り組み
プランテーションコースとベイコースという、2つのコースを持つカパルアゴルフも、今回の火災で大きな影響を受けた。
大火災がこの地に及ぶことはなかったが、3分の1の従業員が被災したこと、緊急事態宣言により、一時はマウイ島へ観光客が入島できなくなってしまったこともあり、経営的にも苦しい状況に置かれた。
本来であれば、収入がない時期は賃金も支払えないが、賃金を通常通りに支払い、従業員を解雇することなく、全員に「仕事に戻ってきて。フルで働いてもらいたい」と呼びかけたという。
従業員たちも、1月の大会を開催することを励みや目標にして頑張ってきた。
「支配人は通常、7割くらいはゴルフの業務を考えるものだが、今回のことで9割以上、ゴルフ以外の話ばかりになった。被災した人たちへの食事のこととか、焼失した教会やお寺、学校の人たちからの『場所を貸してほしいというリクエスト』にどう対処していくか、など。毎週のようにニーズが変わっていくので、それを理解した上で対処している。まだまだこういうことは続くんですよ」(中島氏)
また現在、ゴルフ場は2コースとも営業しているが、料金は据え置き。
ホテル料金はかなり高額になっているところも多いが、「ゴルフ場の経営が厳しいと言っても、料金を2倍にすることもできないし、信頼関係でできているビジネスだから」というのがその理由だそうだ。
ラハイナ復興のために支援している選手たち
ハワイにゆかりのある人にも、そうでない人にもラハイナ復興を支援している選手が何人かいる。
ここでは、彼らの活動を紹介しよう。
PUMAがLAHAINA復興のため「Lキャップ」を販売
リッキー・ファウラー
焼失したラハイナから、車で約20分の場所にある、カパルア・プランテーションコース。
ここで例年通り「ザ・セントリー」は開催されたのだが、出場選手のリッキー・ファウラーがアパレル契約を結んでいるプーマが、ラハイナ復興を支援するため、通常はPUMAのPをキャップに入れているところを、ラハイナ(Lahaina)のLに変えた「Lキャップ」を限定販売。
ファウラーも大会期間中に着用した。
人一倍、人情に厚いファウラーは「僕もラハイナ復興のために何かをしたいと思っていたので、このLキャップのアイデアはすごくいいと思った。少しでも多くのゴルフファンたちが、このLキャップを購入することで支援してくれたら嬉しい」と語っていた。
消防士・救急隊員を助けたい
パトリック・キャントレー
マウイの復興のために、何かをしたいとキャントレーは「ファーストレスポンダーズ・チルドレンズ基金」と提携。
被災した人々の支援を、協力して行なう活動に参加した。
「自分の慈善団体を立ち上げた時、2本の柱があったんだ。ジュニアゴルフを支援するということと、緊急対応要員(消防士、警察官、救急隊員など、事故や急病が起こった場合に、救急車などが到着するまでに救急の措置が求められる要員)を助けること。ちょうど今週はこの活動を行なうに絶好の機会だと感じた」と語っている。
かつてラハイナでレストランを経営していたモリカワ家
コリン・モリカワ
かつて祖父母や叔父母、従兄弟たちがラハイナに住み、レストランを経営していたことがあったという、モリカワ家。
レストランはコリンが生まれる前に売却されたそうだが、1980年代まで存在していたという。
本人はラハイナに住んだことはないが、夏には親戚を訪ねて遊びに来たこともあり、他のどの選手よりもこの地とつながりが深い。
その分、被災者たちの救済や、ラハイナの復興に人一倍熱心だった。
「カパルアに向かう途中、被害の規模を目の当たりにし、何が起こったのかが見て取れた。非常に不気味な光景だ。自分の家族の歴史がある場所に恩返ししたい」と語った。
大会前にはフアモナ農場にキャサリン夫人と出向き、被災者家族のために食材を箱詰め。
食料を寄付したが、その他、バーディ1個ごとに2000ドル、イーグル1個ごとに4000ドルの寄付をするという試みも同時に行なわれていた。
「私がやろうとしていることは、単に寄付への意識を高めること。数人の選手が寄付を行ない、会社やスポンサーも寄付を行なったのを見るのは素晴らしい。少しでも役に立ちたい」と語っていた。
カウアイ育ちのザンダーも寄付
ザンダー・シャウフェレ
2歳までハワイ・カウアイ島に住んでいたシャウフェレ。
家族の「マウイストロング・イニシアチブ」を通じて、何か支援しようという気持ちに刺激を受け、マウイ島復興に支援の手を差し伸べている。
大会前には被災した家族と共に、ジュニアクリニックを開催。
「子どもたちと一緒にいたら、自分も童心に帰って楽しかったよ。彼らが明るく、幸せそうにボールを打っているのを見て、少しでも助けることができればいいな、と思ったんだ。空港からここに向かう途中、非常に残酷なものを見た。こうしてツアーがここでプレーできるように取り計らってくれて、とても幸せだ。このイベントが多くの人の関心を引き、何が起こったのかを知ってもらい、十分なお金を集める手助けができればいい」と語った。
Text & Photo/Eiko Oizumi
Photo/Getty Images
荒くれグレイソン
アルコール依存症を克服してフィアンセと祝2勝目!
2024 ソニーオープン・イン・ハワイ
2024年1月11日~14日/米国・ハワイ州ワイアラエCC
優勝
Grayson Murray
グレイソン・マレーという選手をご存じない方も多いだろう。
彼は、アマチュア時代の輝かしい成績を引っ提げてプロ入りし、過去1度、「バーバソル選手権」で優勝したことはあるが、どちらかといえば、お騒がせ男として有名な人物。
そんな彼が、アルコール依存症を克服して、ツアー2勝目を挙げた。
これまでを振り返りながら、彼を紹介していこう。
マレーの不幸な過去とアルコール依存症
今年のPGAツアーは、開幕早々、ハワイで異色の選手が立て続けに優勝した。
「ザ・セントリー」で優勝したクリス・カークも、2戦目の「ソニー・オープン・イン・ハワイ」で優勝したグレイソン・マレーも、アルコール依存症、うつ病を克服して優勝したチャンピオンだからだ。
マレーは8か月間、節酒中だということなので、まだ克服したとは言えないかもしれないが、昨年はコンフェリーツアー(下部ツアー)で2勝し、今季のPGAツアーのシード権を獲得したことからも、順調にアルコール依存から脱却中であることが見て取れる。
さて、グレイソン・マレーとはどんな選手なのか?
ご存じない方も多いと思うので、ここで説明しておこう。
彼は7歳からゴルフを始め、12歳~14歳まで「世界ジュニア」で3連覇。
2009年にはネイションワイドツアー(現在のコンフェリーツアー)で、史上2番目の年少記録(16歳)で予選通過を果たすなど、天才少年だったのだ。
また、アーノルド・パーマー奨学金で、ウェイクフォレスト大に進学したが、その後は他校に転向し、卒業することなく2015年にプロ転向している。
2017年には「バーバソル選手権」でツアー初優勝。
だが、その後はレギュラーツアーと下部ツアーを行ったり来たり。
プレー以外の〝良くない〟話題が非常に多く、他の選手とのケンカ、コースでの品のない振る舞い、ラウンドの途中でのキャディの解雇など、彼のトラブル話には枚挙に暇がないほどだ。
さらに2022年の「全米オープン」では、クラブを投げたり、へし折ったり。SNSでは、ローリー・マキロイやPGAツアーのコミッショナー、ジェイ・モナハン氏に対して、ツアーに対する憎悪や陰謀論を吐き、未成年の女性に対して不適切な発言をしたことも問題になった。
その上、重篤なスクーター事故に巻き込まれたり、2人の家族が殺害されるなど、不幸な出来事にも遭遇。
彼のゴルフの才能も、常に多くのトラブルによってかき消される人生を送ってきた。
それも、デビュー当時からの「アルコール依存症」によるところが大きい。
彼は、ツアーで初優勝を遂げた時ですら、3日間、二日酔いの状態でプレーし、優勝したのだった。
「飲酒は僕のはけ口だった。23歳の新人で、二日酔いでプレーして優勝。無敵だと思った」
このルーキーイヤーでの初優勝が、彼を間違った方向に追いやることになったと言える。
依存症からの脱却とイエス・キリスト
そんな彼は、今大会の優勝後のインタビューで「イエス・キリストなしでは、今回の優勝は不可能だった。彼は僕に新しい物語を書くためのプラットフォームを与えてくれた。1人でも(アルコール依存症の人を)助けられれば、十分だ」と語った。
そして、「婚約者とイエス・キリストが、僕の人生を変えた。今回の優勝が人生を変えることはないが、少しキャリアを変えてくれた」と述べている。
以前の彼とはだいぶ違う印象を受けるコメントだ。
「もし8か月前に飲酒をやめていなかったら、今日、ここにはいないだろう」とマレーは振り返る。
彼は「飲酒することで、傲慢になっていた」と言い、「アルコールが、私ではない側面を引き出した。モンスターがいたんだ」と語った。
モンスターとは、彼と同時期に出てきた選手たちが成功を収めているのを見て、嫉妬心を抱いた自分を指している。
成功した同輩と同じくらい、いやそれ以上に自分もいい選手であることはわかっているのに、自分だけがうまくいかないのはなぜだ?という嫉妬心に苦しみ、飲酒をストレスのはけ口にした。
だが、1人でその問題に戦い続けるのに疲れた時、婚約者のクリスチアーナさんに出会い、宗教に助けられた。
それが彼の人生を変えたのだった。
今では気持ちも落ち着き、人には人の道があり、成功へ到達する方法は人それぞれ、と割り切れるようになっている。
「30歳になって、やっと自分がずっとなりたいと思っていたゴルファーになれる」とマレー。
3年前に敬虔なクリスチャンのクリスチアーナさんと出会い、教会に行くことが日常となった。
そして、今年の4月末には結婚することになっている。
「過去3年間、彼女も僕もキリストに人生を捧げた。これからは、自分自身を許し、失望させた人々に謝罪して、前進しなければならない」と語ったマレー。
今後もアルコールに頼ることなく、自分の才能を最大限、プレーに活かすことを祈る。
最終成績
優勝 | グレイソン・マレー | −17 |
2位 | アン・ビョンフン キーガン・ブラッドリー | −17 |
4位 | カール・ユアン ラッセル・ヘンリー | −16 |
5位 | J.T.ポストン | −15 |
7位 | ニック・テーラー エミリアーノ・グリジョ マチュー・パボン | −14 |
10位 | アンドリュー・パットナム ハリス・イングリッシュ テーラー・ペンドリス | −13 |
30位 | 久常 涼 松山英樹 蟬川泰果 | −9 |
74位 | 桂川有人 | −1 |
予選落ち/平田憲聖、金谷拓実、岩﨑亜久竜、中野麟太朗(アマ)
Text & Photo/Eiko Oizumi
Photo/Yoshitaka Watanabe、Getty Images