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【世界のゴルフ通信】From Europe 父の残した思い出と遺産が眠るセント・アンドリュース〜ハビエル・バレステロス

父の栄光を追って
思い出と遺産が眠るセント・アンドリュース

©Alfred dunhill Links Championship

ハビエル・バレステロス
(スペイン)
1990年8月20日生まれ。セベ・バレステロスの長男で、2014年にプロ転向。欧州ツアーのプロゴルファー。世界ランク1835位。

©Alfred dunhill Links Championship

「アルフレッド・ダンヒル・リンクス選手権」2日目、18番ホールをバーディで終えて、キャディを務めた妹のカルメンとハイタッチをするハビエル・バレステロス(左)。国際ゴルフ連盟(IGF)のピーター・ドーソン前会長(左から2番目)と、R&Aチーフエグゼクティブのマーティン・スラマー氏と同組でプレー。

©Getty Images

父親のセベのバッグを担ぐことも多かった長男のハビエル・バレステロス。写真は2006年、ロイヤル・リバプールで開催された「全英オープン」で。

セベの息子が初めて聖地を巡礼

欧州のプロゴルファー、ハビエル・バレステロスには、セント・アンドリュース・オールドコースの18番グリーンに、誰よりも大きな思い入れがある。
そこは、亡き父セベの最も象徴的な瞬間の舞台だったからだ。

しかし31歳のハビエルは今年の9月まで、ゴルフの聖地を訪れ、父の思い出に浸ることがなかったというのは驚くべき事実だ。

「本当に特別でした。今まで一度もここに来たことがないなんて、本当に信じられません。2006年のロイヤル・リバプールではキャディを務めましたし、ロイヤル・トゥルーンやロイヤル・リザムではプレーしたこともあります。ロイヤル・リザムは、父が初めて全英オープンで勝った場所ですから、特別な思いがありますね」

ハビエルは、セント・アンドリュースでの優勝が最高の瞬間だと父が語っていたことを記者に話した。
そして彼自身にとっても「全英オープン」は世界最高の大会であり、中でもセント・アンドリュースは特別だと語った。

ハビエルが待ちに待っていた、セント・アンドリュースへの旅には、2つの特別な理由があった。
1つは、キャディを務める妹のカルメンと一緒に、「アルフレッド・ダンヒル・リンクス選手権」に招待されたこと。
そしてそのタイミングに合わせるように、10年前に脳腫瘍で亡くなった父セベ(享年54歳)の人生を描いた新作映画のプレミア上映が始まったからだ。

映画『セベ』の上映と家族の絆

©Getty Images

2021年9月29日にセント・アンドリュースの映画館で『SEVE』のプレミア上映会が行なわれた。左はハビエル・バレステロス、右は妹のカルメン。

映画『セベ』は、オールドコースから坂を上ってすぐのところにある映画館「ニュー・ピクチャー・ハウス・シネマ」で上映された。
R&Aからの委託によりデビッド・ホワイトが制作。
VIP上映会には、妹だけでなく、同じカルメンという名の母親も出席。
ハビエルは、感動的な夜だったと語っている。

「始まった途端に泣いてしまいました。本当に素晴らしかったです」

この映画では、スペインのペドレニャという町での貧しい生活から、メジャー優勝や「ライダーカップ」で起こった革命的な出来事に至る、セベの生涯が描かれている。
これまで未公開だったセベへのインタビューに加え、ベルンハルト・ランガー、ゲーリー・プレーヤー、ニック・ファルド、ローリー・マキロイ、ホセ・マリア・オラサバル、コリン・モンゴメリー、そして終生のライバル、ポール・エイジンガーも登場する。

しかし、最も感動的なのは家族からの言葉だ。
誰もが知っている、公の場での人物像ではなく、威厳と誇りに満ちた、一人の人間としてのセベを知ることができる。
父親を亡くした時、ハビエルはまだ20歳だった。

「ご想像の通り、とても厳しい状況でした。最後の数か月、父はほとんど何もできなかったんですが、私たちはペドレニャで、ずっと一緒に過ごしました。父が、死を意識していたかどうかはわかりませんが、とても楽しく過ごすことができました。父が懐かしい。僕は毎日、父のことを考えています。父の家は生前のまま、何も手を加えていませんし、あらゆるものが、父が生きていた時と全く同じ場所にあります」

父の威光だけでは通用しないゴルフの世界

ハビエルは7年前にプロ転向して以来、欧州ツアーの3部ツアー「アルプスツアー」に参戦しているが、そんな彼にとって賞金総額500万ドルという「ダンヒル・リンクス」は、これまでで最大の試合だった。
しかし結果は、予選通過ならず。欧州ツアーの本戦でプレーするには、まだ力不足なのだ。

だが初日、彼は父に倣って、オールドコースでのラウンドの最終ホールをバーディで締めくくったのである。

「最後はバーディで終えることができて本当に嬉しかった。私はゴルファーとして成功していませんし、これまでのキャリアも大したものではありませんが、努力は惜しみません。私が10歳だった時、学校に行く前に、朝6時に父と一緒に起きてジムに行っていたのを覚えています。たぶん父のキャリアはすでに終わっていたと思いますが、それでも復帰するために、懸命に努力していました。セベの息子であることで、プレッシャーは感じますし、父のように全英オープンで優勝して、クラレットジャグに名前を刻みたいと思いますが、メジャーで勝つのは容易ではありません。メジャーでの優勝どころか、出場する機会を得るのも難しいですからね」

「今、私はアルプスツアーでプレーしていますが、欧州ツアーに出場するという大きな目標があります。父は『ゴルフはとても難しいスポーツだが、努力する覚悟があるならうまくなれるだろう』と言っていたものです。父のようになれればとは思っていますが、まずは自分自身であること、自分のゴルフに一生懸命に取り組むことが大事ですね」

Text/Euan McLean

ユアン・マクリーン(スコットランド)

スコットランドを拠点に欧州ツアー、海外メジャーを過去20年以上に渡り取材。

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