中東のゴルフ場を調べてみると、2000年代に入ってから造られた新しいコースが多い一方、エジプトのメナハウスやバーレーンのアワリゴルフクラブのように1900年代前半から開場しているところもチラホラ見つかる。
これは一体どういうことなのだろうか?
1899年にサンドコースが開場したメナハウスGC。当時はラクダをカート代わりにしていたのだろうか? 1917年にロイ·ウィルソンにより芝に変更された。
オスマン帝国の衰退とイギリス軍の侵攻が 中東ゴルフを発展
現在、UAEやサウジアラビア、カタールなど、欧州ツアーのビッグイベントが開催され、質の良いゴルフ場が次々オープンしている中東諸国。
オイルマネーによる潤沢な資金で砂漠の地を緑の絨毯に変え、贅を尽くしたモダン建築のクラブハウスを建造しているが、元々はゴルフ後進国が多いエリア。
一体どのようにしてゴルフが発展したのだろうか?
ゴルフが中東にやってきたのは1890年頃。
オスマン帝国が衰退し、イギリス軍がエジプト侵攻を行なっていた頃である。
彼らは同時にゴルフもエジプトに持ち込み、アレキサンドリアの地に「アレキサンドリアスポーツクラブ」(5960ヤード·パー70)が完成。ビジネスや社交、娯楽の中心となった。
さらにイギリス軍は1892年、カイロに「ゲジラスポーツクラブ」を創設。
18ホールのゴルフ場を含む複合スポーツ施設を造り、エジプト人の加入も認めた。
1952年には前記2つのスポーツクラブは国営化されたが、その頃には主にエジプト人が会員となっていたそうだ。
最初はヨーロッパの軍人や貿易関係者がゴルフを中東にもたらし、その後は企業の駐在員らが拡大させていったという。
また、国の権力者がゴルフの発展に寄与した例もある。
オスマン帝国の首都だったイスタンブール(トルコ)には1895年に英米の駐在員がトルコ最古のスポーツクラブ「イスタンブールG C」を設立。
1950年代に首相を務めたアドナン·メンデレス氏がこのスポーツクラブの会長を務め、トルコを世界レベルのゴルフ観光国に発展させたと言われている。
石油や貿易に次いで、ゴルフ観光の占める割合が増加している中東諸国。現在、ゴルフを楽しんでいるのは主に駐在員で、ゴルフに魅力を感じるイスラム教徒は少なく、ジュニア向けプログラムも不足している。
社交のために民族衣装のジャラバを着てパットやアプローチに興ずる者はいるが、上級者や才能溢れるジュニアは稀だ。
豪華なクラブハウスは彼らにとって社交の場であり、ミーティングの場。ゴルフ以外の目的でゴルフ場を訪れている。
そして一方、「ゴルフ観光」をテレビでアピールするため、欧州ツアーの大会を開催しているのが中東ゴルフの実情だ。
ギザのピラミッドの裾野に広がる「メナハウスホテル」。もともと王家のレストハウスとして使用されていた。
Text/Susanne Kemper
スザンヌ・ケンパー(スイス)
オーストリア国籍、スイス在住。20年以上に渡って米国、欧州を中心に世界中を旅しながら、ゴルフ誌やライフスタイル誌に寄稿。5ヶ国語を操る。