Text/Eiko Oizumi
Photo/USGA
リッキー・ファウラーとともに、最終日を首位タイでスタートし、メジャー初優勝をかけて戦ったウィンダム・クラーク。最終日に4バーディ、4ボギーの70で回り、ローリー・マキロイを1打差でかわして、通算10アンダーで「全米オープン」初優勝を飾った。これで「全米オープン」でメジャー初優勝した選手は5人目となった。最終日にクラークと共に1打を争い、優勝争いを展開していたマキロイは、2014年「全英オープン」以来のメジャー4勝目を狙っていたが、2位で終了。2014年以降のメジャーでトップ10入りは今回で19回目を記録したが、これはこの期間の中では、最多の記録。なお、クラークは今年「ウェルズ・ファーゴ選手権」でPGAツアー初優勝を飾っているが、「全米オープン」で2勝目を達成したのは、実はマキロイも同じである。 「先月のウェルズファーゴ選手権での初優勝は夢のようだったが、今回の優勝もまた夢のよう。まだ実感が湧きませんが、18番ホールを歩いているときは、とても感動的で、そして最後にプレーを終えた時も感情が込み上げてきました。でも、まぁ、この5〜6週間はまるで嵐のように忙しい日々でしたし、ただこの場にいられることを感謝し、謙虚な気持ちで受け止めたいと思います」
リーダーボードの上位には、ローリー・マキロイ、スコッティ・シェフラー、キャメロン・スミス、ジョン・ラーム、ダスティン・ジョンソンなど、人気・強豪メジャーチャンピオンたちの名前がズラリと揃った今年の「全米オープン」だったが、日本のゴルフファンからは、ほぼ無名と言ってもいい、ウィンダム・クラークが突然メジャーで優勝を果たした。「クラークっていったい誰?」という読者の方のために、ここで少し彼のプロフィールをご紹介しておく。
彼は米国・デンバー出身の29歳。リッキー・ファウラーの出身校であるオクラホマ州立大に数年間在籍していたこともあるが、その後大学のキャリアをオレゴン大学で終えた選手だ。母の手引きでゴルフを3歳から始め、アマチュア時代にアマチュアの大会で優勝もしていたが、母を乳がんで亡くしてからは、ゴルフを辞めてしまおうと考えた時期もあったという。
これまで、PGAツアーでは過去4シーズンを戦っているが、トップ3に入ったのは、今年の「ウェルズファーゴ選手権」で優勝するまではたった1回だけだった。フェデックスカップランクでも、世界ランクでもトップ50入りを果たしたことはない。そんな彼が、今年の「ウェルズファーゴ選手権」でツアー初優勝を遂げたことで、世界ランク31位と、世界のゴルフ界でメジャーなどの試合に出場できる資格を有するエリートランクの50位以内に初めて食い込みを見せた。そして今回の「全米オープン」優勝でフェデックスカップランクでは4位にに、世界ランクも13位にまで一気に浮上している。
さて「全米オープン」でのクラークに戻ろう。最終日は最終組で、尊敬するオクラホマ州立大の先輩のリッキー・ファウラーとプレーしていた(実際は3日目と最終日の2日間を、ともに2サムでプレーしたことになる)。ファウラーは3日目終了時点で首位タイに立っていたが、この日スコアを崩し5オーバーの75で5位タイに。一方のクラークは何度もピンチがあったが、寄せワンでしのぎ、パープレーの70でプレーを終えた。そして、試合を終え、優勝が決まった後のグリーン上で、同伴競技者のファウラーからは「お母さんも誇りに思っていると思うよ」と抱擁しながらクラークに語ったという。
「今週は本当に素晴らしい週でした。なぜなら私の母は数年間ロサンゼルスに住んでいたので、母を知っていた人たちが、若い頃の写真を見せてくれたりしたからです。LAにいる間は、何か特別な雰囲気がありましたね。両親はリビエラCC(ロサンゼルスの名門コース・「ジェネシス招待」の開催地)で結婚しましたし、私にはこのエリアに少しルーツがあるんです」(クラーク)
「全米オープン」最終日は毎年、父の日と決まっているが、父にだけでなく、母にも捧げた涙の優勝だった。
●ウィンダム・クラークが「全米オープン」優勝で獲得したもの
①ジャック・ニクラスメダル
②「全米オープン」の1年間のトロフィ保有権と、レプリカのトロフィ
③「全米オープン」の今後10年間の出場権
④「マスターズ」の今後5年間の出場権
⑤「全米プロ」の今後5年間の出場権
⑥「全英オープン」の今後5年間の出場権
⑦「プレーヤーズ選手権」の今後5年間の出場権
⑧PGAツアーの今後5年間のシード権
⑨2023年の全米ゴルフ協会(以下USGA)選手権シーズンの銘板に名前が刻まれ、USGA博物館の栄誉の殿堂に永久に展示される。