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【日本のゴルフ黎明期を支えた幻のゴルフ場】第9回「柏ゴルフ場」

1901年に最初の4ホールができた日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」のように、現存するコースもあるが、中には消滅し、姿を変えているところもある。
そんな「幻のゴルフ場」を探訪する。
第9回は柏ゴルフ場を紹介する。

Before

柏ゴルフ場

個人蔵提供:柏市教育委員会

週末には多くのゴルファーが訪れ、近隣の小中学生がキャディに駆り出されるほどだったという。

個人蔵提供:柏市教育委員会

昭和3年に競馬場が造られた。

個人蔵提供:柏市教育委員会

昭和10年当時の、競馬場の様子。

個人蔵提供:柏市教育委員会

柏競馬場・ゴルフ場のレイアウト図。

Now

コンフォール柏豊四季台

写真提供/UR都市機構

柏駅から約1キロの距離に位置するコンフォール柏豊四季台は、UR都市機構により管理されている。
かつてゴルフ場だった場所は、首都圏の一大ベッドタウンへと変貌した。

現在、柏ゴルフ場跡地には、コンフォール柏豊四季台が立っている。
旧日本住宅公団(現UR都市機構)により1964年に管理が開始された、4666戸からなる大団地だったが、2004年より建て替え事業が開始されている。

首都圏の代表的なベッドタウンとして知られる千葉県柏市。
ここにかつて「東洋一」とうたわれた競馬場があったことをご存知だろうか?
そしてその内馬場にゴルフ場があったのだ。

このゴルフ場があったのは80年も前のこと。競馬場とゴルフ場のマッチングは、さほど珍しいことではないが、1906年に東日本で初のゴルフ場として横浜で産声を上げた根岸ゴルフ場も、根岸競馬場内に造られたゴルフ場だった。

柏競馬場、さらに柏ゴルフ場が誕生するきっかけは、町おこしだ。
このあたりは柏市の公式HPにある「歴史発見『かしわ・その時』」に詳しい。
1900年代の初頭、昭和の経済不況が深刻化しつつある時、柏の富豪・吉田甚左衛門は「柏を関東の宝塚にする」構想を抱いたという。
1911(明治44)年に千葉県営軽便鉄道(後の東武野田線→現東武アーバンパークライン)の柏-野田間が開業。
その後1922(大正11)年に北総鉄道へと名称変更していた。布施弁天・曙山・手賀沼など風光明媚なスポットに恵まれている柏に、東京からの客を呼び込もうという狙いだ。

その目玉となったのが、1周1600メートルと国内有数の規模となる柏競馬場。
1928(昭和3)年にオープンすると、当時約7000人の人口だった柏町に、競馬開催を聞き付けた人々が押し寄せた。
その数、3日間で実に9万人。当時、柏町の年間予算は5万円から6万円だったが、競馬場の売り上げはわずか3日間で14万円に達した。
しかし競馬は当時、法律で春に3日、秋に3日の開催しか認められていなかった。
このままいくと1年に359日が開店休業状態となってしまう。
そのピンチを救ったのが、朝日新聞記者で随筆家の杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)。
内馬場を利用してゴルフ場を建設するという絶好のアイデアを出した。

この案が通り、柏ゴルフ場が1929(昭和4)年の2月、めでたくオープンすることとなった。
9ホールのパブリックということで、メンバーシップを持たないゴルファーには格好の実戦の場として支持を集めていく。
4年後の1933(昭和8)年には、柏競馬場前停車場が開設。
それまでは柏駅から競馬場まで1キロあまりあったため、乗り合い自動車が活躍していたが、アクセスが良くなったことでゴルフ場の人気に拍車がかかる。
日曜日には人手が足りなくなるほどの盛況が続き、近くに住む小中学生がキャディに駆り出されるほどだったという。
しかし戦争の足音が大きくなるにつれて衰退。
競馬場は軍馬鍛錬会場として延命を図ったものの1942(昭和17)年、ついに開催が打ち切られた。
ゴルフ場も「軍需産業である日本光学に買収され、同年12月末に閉鎖を余儀なくされた」(「日本のゴルフ100年」久保田誠一著より)。

柏競馬場はその後復活するも、1950(昭和25)年に閉場。
その後は中山競馬場が千葉県内の代表的競馬場として成長していくことになる。
柏ゴルフ場はと言えばPX根岸ゴルフコースとして復活し20年永らえた根岸のケースとは対照的に、一度も息を吹き返すことなくその役目を終えている。

ゴルフ場の跡地には日本住宅公団の「豊四季台団地」が建ち、その後UR都市機構の「コンフォール柏豊四季台」へと建て替えが進み、新しい街へと変貌を遂げつつある。

※参考文献=「歴史発見『かしわ・その時』」(柏市公式HP)

Text/Akira Ogawa

小川 朗
東京スポーツに入社後、ゴルフ担当を長年務め、海外特派員として活躍。男女メジャー取材も25試合以上。日本ゴルフジャーナリスト協会会長。

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