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【日本のゴルフ黎明期を支えた幻のゴルフ場】第15回「戸山ヶ原ゴルフ場 」

1901年に最初の4ホールができた日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」のように、現存するコースもあるが、中には消滅し、姿を変えているところもある。
そんな「幻のゴルフ場」を探訪する。
第15回は戸山ヶ原ゴルフ場を紹介する。

Before

戸山ヶ原ゴルフ場

1924年1月6日付の、東京日日新聞社会面(3面)に掲載された記事。この記事を読んだ読者からの、入会希望が殺到したという。

写真提供/新宿区立新宿歴史博物館

冬の戸山ヶ原は、雪が積もればスキー場にもなった。

Now

都立戸山公園とその周辺

Photo/清流舎

江戸時代は、尾張藩徳川家の下屋敷だったエリアで、庭園内には箱根山に見立てた築山もあった。

明治維新後は軍事施設として使用された時期もあった。

Photo/清流舎

現在は都立戸山公園(箱根山地区)となっている。戦後の1949年、戸山ハイツの建設が開始された。

Photo/清流舎

陸軍戸山学校があったことを示す記念碑が建てられている。

ここに古い新聞記事のコピーがある。
発行されたのは実に99年前。1924(大正13)年1月6日付の、東京日日新聞(毎日新聞社の前身)社会面(3面)に掲載されたものだ。
トップの見出しは「戸山ヶ原のゴルフ老人」。その上に「運動を延命の薬に」とある。
サブ見出しも「十数年休まぬ熱心に持病がケロリと退散」とふるっている。

記事の主役はこの女性ゴルファーではなく、洋服仕立て業を営む「鳥羽老人」という人物。
この老人がゴルフに熱心で、10数年休まずにプレーを続けたことで持病を完治させたという記事である。
舞台は見出しにもある通り、戸山ヶ原。のちの新宿区大久保三丁目から百人町三丁目にかけての一帯が、当時はこう呼ばれていた。
「戸山ヶ原陸軍練兵場に隣接していて、明治から大正にかけて軍隊が使用しない時には学校の遠足、草野球、サッカーなどに利用されていた。適度に起伏のある地形で、雪が積もればスキー場にもなった。市民にとって『野外総合グラウンド』だった」(『日本のゴルフ100年』久保田誠一著=日本経済新聞社刊)。

さて、この新聞記事を現代語訳し、要約すると次のようになる。

「この10年間、雨が降ろうが雪が降ろうが、一日として戸山ヶ原に姿を見せぬことのない鳥羽老人は、わがゴルフ界の先覚者であり、かつ運動精神を真に体得した人である。老人がゴルフに親しみ始めたのは、持病の心臓病で余命いくばくもない、と医師から宣告された明治40(1907)年の春だった。洋服仕立ての見本として持っていた写真で外国人がゴルフをしているのを見て、自分も一つやってやろうと思い立ち、苦心の末クラブと球を手に入れ、戸山ヶ原に立った。無論、クラブの握り方も打球方法もわからず、数葉の写真を参考にとにかく練習した。しかし、彼の目的は技術の進歩ではなく、心臓病を運動によって克服することであり、この目的は見事に達成。健康状態は1年足らずで回復して医師を驚かせた。しかしそれにも勝る喜びは、仕事の能率が2倍にも3倍にも上ったことだ。こうして運動の醍醐味を体験した彼は、十数年一日も欠かさず起き抜けに戸山ヶ原に現れ、カラスや早起きの茶屋のばあさんを驚かせながら、日に3時間、球を打ちまわった。最近、新しいゴルフ倶楽部が生まれたが、程ヶ谷や駒澤が500円から1000円の入会金を徴しブルジョワ気分を誇っているのに対し、この俱楽部はどこまでも地味に運動愛好の初心者を集めゴルフをもっと一般的なものにしようとしている」

実はこの記事が出る4か月前の1923年9月1日には、関東大震災が発生。
隅田川沿岸の下町で起こった延焼火災の被害は、今も語り継がれるほど甚大なものだったが、この記事に震災関連の記述は出てこない。
戸山ヶ原周辺は建物も少なく「材木屋の木が倒れたり、屋根瓦が落ちた家があった程度」との記述が地元の書物に残されている。
下町に比べれば被害は少なく、鳥羽老人もゴルフを続けていたことが、この記事からも伝わってくる。

記事の反響は大きく、入会希望が殺到。
「戸山ヶ原ゴルフ倶楽部は1月13日、会員80人の参加を得て発会式を行なった」という。
だが陸軍は、訓練期間中もクラブを振り回すとなると黙認するわけにもいかず、ゴルファーを軍用地から締め出したという。

この後、記事に載っている女性の夫である明石雷一氏らが新天地を探し「武蔵野CC平山コース」として再スタート。
ゴルフの大衆化への道を切り開いたクラブとして、この戸山ヶ原の果たした役割は大きかった。

Text/Akira Ogawa

小川 朗
東京スポーツに入社後、ゴルフ担当を長年務め、海外特派員として活躍。男女メジャー取材も25試合以上。日本ゴルフジャーナリスト協会会長。

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