世界にはゴルフ文化のない国、あるいは最近ゴルフ場ができたばかりという国がいくつもある。
ここでは、「ゴルフ発展途上国」の歴史と文化、“ゴルフの夜明け”との関係性などを紐解いていく。
第21回はアルメニア共和国を紹介する。
アルメニア共和国

ユーラシア大陸の南コーカサスの内陸国で、西はトルコ、北はジョージア、東はアゼルバイジャン、南はイランと国境を接する。首都はエレバンで、アルメニア人は、アルメニアをハイク、あるいはハヤスタンと呼ぶ。
メソポタミア文明を受け継ぐ欧州・アジア・中東の狭間の国


紀元前860年から続く古代世界の交差点


トルコ、ジョージア、アゼルバイジャンに囲まれたアルメニアは、アジア、欧州、中東の交差点にあり、石器時代から現代に至るまで、歴史的な発見がある西アジアの高地に位置する内陸国だ。
アルメニアでの人類の痕跡は100万年以上前に遡るが、何千もの人工遺物が発見されており、石器時代のフラズダン渓谷の遺跡には、32万5000年前の遺物も残っている。
ウフタサール山には様々な動物の岩絵があり、観光でぜひ訪れたい場所だ。
首都はエレバンで、紀元前782年の夏、アルギシュティ1世によって創設されたエレバンは、継続的に人類が居住している世界で最古の都市の一つとなっている。
周囲の国々に征服され虐殺も発生した負の歴史とソ連の統治下でのアルメニア



アルメニアには、405年から独自の言語と文字があり、現在、ほとんどのアルメニア人は主にロシア語、あるいは英語を話す。
「アルメニア」の名前は、5世紀の歴史家モーセス・オブ・コレンによれば、ノアの曾孫である、アルメニアの祖「ハイク」に由来するという説と、青銅器時代に関連があるという説がある。
ハイクはバビロニアの王ベルを打ち負かし、アララト地方に自分の国を築いたといわれている人物だ。
アルメニアは、ビザンチン帝国、モンゴル、オスマン帝国などに支配された時代があり、第一次世界大戦でオスマン帝国とロシア帝国が敵対すると、トルコは、アルメニア人が帝国ロシア軍に参加していたことからアルメニアに不信感を抱いた。
トルコのアルメニア人は逮捕され、多くが死亡し、その他強制労働やシリア砂漠への死の行進に追いやられ、現代最初の「ジェノサイド」とされる出来事が発生。
推定で100万人以上が犠牲となった。
アルメニアの領土は絶えず変化し、獲得した領土が異なる合意で失われたり、変更されたりしながら、1918年5月には共和国が宣言された。
しかし、1920年にはソビエト連邦に編入され、アルメニア・ソビエト社会主義共和国となった。
1980年代のゴルバチョフの改革は、アルメニアが抱えていた環境汚染や、その他の問題を改善するために非常に重要だったが、一方でナゴルノ・カラバフをめぐる最初の問題も表面化。
1991年のソ連崩壊により、アルメニアは再び独立を果たしたが、ナゴルノ・カラバフをめぐる戦争は1994年の停戦合意まで続いた。
これらの紛争でアルメニアとアゼルバイジャンは共に被害を受け、100万人以上が難民に。
3万人以上が命を失った。2023年にはアゼルバイジャンによるナゴルノ・カラバフへの新たな介入があったが 、停戦が成立。
しかしアルメニアにとって、この問題への不満は続いている。
アルメニアの経済と外交関係・観光


世界で10番目に標高が高いアルメニアは、85%が山岳地帯で、ネパールやスイスよりも山が多いのが特徴だ。
標高5137メートルのアララト山は、かつてアルメニアに属していたが、現在はトルコ領。
トルコとの関係は現在も緊張状態が続いており、良好ではない。
世界で2番目に大きなアルメニア人コミュニティのある米国では、アルメニア人がワシントンDCで積極的にロビー活動を行なっているにもかかわらず、大きな効果が得られていないのが実情だ。
1991年、ソ連から独立した後は、農業がGDPの3分の1に急増し、雇用と新たな市場を拡大。
亜鉛、金、銅、鉛が採掘されており、アルメニアの金細工は有名。
貴石加工、宝飾品、通信、情報技術は経済成長分野を補完、拡大させている。
観光業も盛んで、アルメニアには歴史的な見どころがいっぱい。
ヴォルタン渓谷を横断する世界最長のロープウェイでアクセスできるタテヴ修道院と要塞は、最も人気のある観光地の一つだ。
アララト山頂は、ノアの方舟が漂着した場所とされている。
首都エレバンには歴史的・宗教的な見どころが沢山あって、博物館や美術館もぜひ訪れたい場所だ。
その他、ハイキングやロッククライミング、スキーも楽しめる。
アルメニアの伝統的なバーベキュー「ホロヴァッツ」や、世界最古のワイン醸造地に近いアレニでのワインテイスティングも魅力である。
かつてソ連のメダル獲得に貢献していたアスリート達
ソ連時代、アルメニア人はオリンピック出場を果たすために多くの難関を突破する必要があった。
その結果、アスリートの90%がさまざまな競技でメダルを獲得。
ソ連のメダル総数に貢献していた。
アルメニアで人気のスポーツは、柔道、ボクシング、レスリング、サッカーなどで、世界的にも成功を収めているが、ゴルフに関してはまだ非常に初期段階にあり、今後の成長が期待されている。
2006年に設立されたアルメニアゴルフ協会(NGAA)は、限られたリソースの中でゴルフの普及に取り組んでおり、現在アルメニア初のゴルフ場として、アララトバレーCCが首都エレバンの近くでオープンしている。
NGAAのカレン・ボウハンニスヤン会長は、「アルメニアでゴルフを普及させることは、健康的なライフスタイルの実現を助ける」と言及。
ジュニアゴルファーを主要なターゲット層に据え、近隣諸国との交流を目指すしている。
グリーン・チームスポーツ
現在建設中の多機能スポーツセンター




若者教育と健康的なライフスタイルを促進
現在、政府及び他のスポンサーとの提携で、多機能スポーツセンター「グリーン・チームスポーツ」の開発と完成に重点が置かれている。
エレバンからわずか15キロの場所に、アルメニアのサッカー、テニス、バスケットボール、ストリートワークアウト連盟の協力のもと建設中だ。
このセンターには練習場、アプローチ&パットコース(9ホール)、18ホールのミニコースも建設予定。
他のスポーツ施設との複合建設プロジェクトが若者の教育に大きな社会的影響を与え、健康的なライフスタイルを促進することを目的としている。
そして、さまざまなスポーツで、将来のチャンピオンを生み出す土壌作りに励んでいる。
アララトバレーカントリークラブ
Ararat Valley Country Club

聖書に出てくるアララト山やアラガツ山、アラ山に囲まれた絶景コース

首都エレバン近郊のアルメニア唯一のコース
9ホールのゴルフ場と練習場、ミニゴルフ場を完備



外国人と地元の人々の交流の場を設けることが目的
エレバン近郊に、アルメニアの不動産開発者であるヴァハク・ホブナニアン氏が建設したアララトバレーCCがある。
ここは、アルメニアにやってくる外国人投資家や、アルメニアへの投資を検討している在外アルメニア人に向けて造られたコースで、住宅コミュニティや数多くのアメニティも完備している。
アメリカでゴルフを学んだホブナニアン氏が、外国人と地元の人々の交流の場を作りだすことを目的に造ったゴルフ場で、2005年にオープン。
毎年10月には試合が開催されている。
壮大なアララト、アラガツ、アラの山々の素晴らしい景色が堪能できる9ホールのコースで、練習場やミニチュアゴルフの施設も利用可能。
その他テニスコート、サッカー場、バスケットボールコート、バレーコートも利用でき、プールも完備している。
なおロッカーや更衣施設はない。
2018年には18ホールに拡張されたが、度重なる干ばつでコースの維持が困難に。
現在は「マウンテンデザート・ターゲットゴルフ」のコンセプトを取り入れ、9ホールだけで運営されている。
コース上にはさまざまなターゲットエリアがあり、ティー、フェアウェイ、グリーン、バンカーが点在。
挑戦的なレイアウトとゴルフの要素(切手のように小さなグリーン)を組み合わせながら、あらゆるスキルのゴルファーが楽しめるようになっている。
Photo/Tourism Armenia,Ararat Valley CC,Green Team Sports
Text/Susanne Kemper

スザンヌ・ケンパー(スイス)
オーストリア国籍、スイス在住。20年以上にわたって米国、欧州を中心に世界中を旅しながら、ゴルフ誌やライフスタイル誌に寄稿。5ヶ国語を操る。