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Legends of Golf Vol.12
ジーン・サラゼン

プロゴルフ界初のキャリアグランドスラマーはサンドウェッジの発明者

貧しいイタリア系移民の家に生まれ育ったエウゲニオ・サラセニ。
19歳でプロ入りした際にジーン・サラゼンという米国ネームに改名した彼は、
弱冠20歳で「全米オープン」と「全米プロ」で優勝。その後、「全英オープン」「マスターズ」でも優勝してキャリアグランドスラムを達成した天才ゴルファーだ。

ジーン・サラゼン(アメリカ)
1902年2月27日生まれ。
1999年5月13日没(享年97歳)。1920~1930年代にかけて活躍し、プロゴルファーとして史上初の「キャリアグランドスラム」を達成。晩年には日本男子ツアー「ジーン・サラゼン・ジュンクラシック」を開催し、毎年日本を訪れていた。

プロゴルファーで初めてキャリアグランドスラムを達成

1999年「マスターズ」の始球式でショットを放つサラゼン(中央)。この1ヶ月後に死去。左はバイロン・ネルソン、右はサム・スニード。

ゴルファーらしい響きの名前に変更したサラゼン

 ゴルフの歴史において、たった1打で有名になったプレーヤーは、わずかしかいない。1935年「マスターズ」の最終ラウンドで、ジーン・サラゼンはアルバトロス(パーよりも3打少ない打数でホールアウトすること。ホールイン・ワンより難しいと言われている)を記録したが、この1打が彼について唯一記憶されていることであるとすれば、それはトーナメント史上、最高のホールアウトの一つかもしれない。だが、彼は、ボビー・ジョーンズやウォルター・ヘーゲンが活躍していた時代に、小柄だが、計り知れない才能に満ちあふれた抜群のゴルファーであり、プロの試合で初めてキャリアグランドスラムを成し遂げた選手だった。そんな最も偉大なプレーヤーの一人である彼に対して、唯一記憶されている1打がこれだけでは、申し訳ない思いがする。

 1902年2月27日、ニューヨーク州ハリソンで、移民の両親のもとにエウゲニオ・サラセニとして生まれたサラゼンは、わずか8歳で地元のゴルフクラブでキャディとしてゴルフの世界に入った。間もなく彼はニューヨークにある複数のゴルフクラブで見習いをし、1921年にはペンシルバニア州のタイタスビルCCでヘッドプロに転向した。当時、彼は自身の名前をサラゼンに変えたが、それについて「サラゼンならゴルファーらしく聞こえるが、サラセニだとバイオリン奏者みたいだから」と語っていた。

 彼のニックネームは「大地主」で、それは彼のプレースタイルや、ヒザ下丈の、ニッカボッカよりも4インチ長めの半ズボンファッションのおかげで付けられたと考えられていたが、実際は彼がゴルフの試合でどれだけ長くプレーすることになるのかを知らずに、若い頃にニューヨークで大きな一区画の農地を購入したからである。当時、農家の人たちは大地主と呼ばれていた。

1994年「マスターズ」の始球式にて。左からバイロン・ネルソン、サム・スニード、ジャック・ステファンズ「マスターズ」委員長、ジーン・サラゼン。

サンドウェッジを発明しゴルフ界に貢献

ジーン・サラゼンは、英国リンクスを攻略するため、サンドウェッジを発明したことでもよく知られている。写真は1988年「マスターズ」でバンカーショットを放つシーン。

 独学でゴルフを学んだ彼は、トーナメントで戦いたいという気持ちが強く、アマチュアとしてトーナメントデビューしてからわずか2年後に、シカゴ近郊のスコーキーCCで開催された1922年の「全米オープン」にプロとして優勝。実力を証明して見せた。サラゼンは最終18番ホールでバーディを取り、68の好スコアをマーク。ボビー・ジョーンズとジョン・ブラックに1打差をつけ、8オーバー(288)で優勝した。彼は最終ラウンドで70を切った「全米オープン」史上初の優勝者である。

 その年の後半、彼はタイタスビルにいた頃によくラウンドしていたオークモントCC開催の「全米プロ」で初優勝を遂げ、メジャー優勝を重ねた。サラゼンはPGAツアー38勝のうち、メジャーで7勝を挙げ、プロの試合では通算48勝を記録した。
 身長は約165センチと小柄にもかかわらず、驚くほどパワフルなプレーヤーとして知られていたが、1923年にニューヨークのペラムCCで行なわれた「全米プロ」では、友人のニューヨーカーであるウォルター・ヘーゲンを38ホール目で撃破。2年連続優勝を果たした。

 その後、メジャー優勝するのは9年後のことになるが、1932年に英国サンドウィッチにあるプリンスGCで開催された「全英オープン」で初日から首位をキープし、完全優勝。当時の最高記録283で、マクドナルド・スミスに5打差をつけて優勝した。 

オーガスタナショナルには「サラゼンブリッジ」と呼ばれる橋が15番ホールにある。ジーン・サラゼンが1935年「マスターズ」でダブルイーグルを達成したのを記念し、達成から20年後に橋に彼の名前を冠した。左からサラゼン、「マスターズ」創設者のボビー・ジョーンズとクリフォード・ロバーツ。

 サラゼンは実はこの時、初めて、ある新兵器を使っていた。「サンドアイアン」と彼が当時呼んでいた、ウェッジのことである。クラブのソール部分に金属を取り付け、砂の爆発でバンカーからボールを脱出させるためのものであった。似たような類いのクラブが1928年、エドウィン・カー・マクレインによって特許が取得されていたものの、そのクラブデザインが幅広く使用されるようになったのは、サラゼンの発明によるものだった。サラゼン自身、ウェッジを作ったことはゴルフ界への最大の貢献だと語った。

サンドウェッジを作り、「全英オープン」で初優勝した創意工夫の人

 サラゼンは、英国で優勝した2週間後にニューヨークに戻り、フレッシュメドーGCで開催された「全米オープン」で優勝。最終ラウンドを66で回り、大会2勝目を飾った。同年に全英・全米という2つのナショナルオープンのタイトルを勝ち取ったボビー・ジョーンズに次ぐ2人目の選手となった。この成功ラッシュによって、彼のゴルフ人生の中でも最も充実した時期となったが、その後彼は1933年にウィスコンシン州ミルウォーキー近くのブルーマウンドGCで「全米プロ」3勝目を達成。そして当時、「オーガスタナショナル・インビテーショントーナメント」と呼ばれていた1935年の「マスターズ」でも、タイトルを獲得した。サラゼンは「世界に響き渡った1打」とともにトーナメントを有名にしたのだ。当時はまだ2回目の開催だった「マスターズ」の最終日、サラゼンは3打差で首位のクレイグ・ウッドを追っていた。だが、パー5の15番ホールで残り235ヤードからの2打目を4番ウッドで打ち、それがカップに直接入ってアルバトロスとなった。ちなみに現在、選手たちは15番ホールのグリーンに向かうのに、グリーン手前の池の左横にある橋を渡っているが、この橋はこのアルバトロスを称えて、サラゼンブリッジと呼ばれている。

「ナショナルチャンピオンシップ・ゴルフカップ」で優勝したボビー・ジョーンズ(右)と対戦相手のサラゼン。

 そのアルバトロスの1打でウッドと並んだサラゼンは、翌日の36ホールのプレーオフで5打差をつけてウッドを下した。1927年から6回連続で「ライダーカップ」に米国チームメンバーとして出場したサラゼンは、晩年、そのショットを単に運がよかっただけだ、と片づけた。サラゼンはかつて、「それは目を見張るほどのショットで、誰もが話題にしていたが、私は1932年に全米・全英の両オープンで優勝したことを最も誇りに思っている」と語ったことがある。
「今日では、私がどこに行っても人々が、『ダブルイーグル(アルバトロスのこと)を取った人だ』と言う。実際のところ、あれは幸運な出来事に過ぎない。みんな私が優勝した数々のメジャーのことを忘れてしまっているようだが、それが残念だ」

メアリー夫人とともに、ゴルフの練習に励むサラゼン。

 サラゼンは年齢を重ねて自身の能力が衰えてくると、ゴルフの偉大なベテラン指導者の一人となり、テレビでコメンテーターとしても活躍。ゴルフのエキシビションでプレーを続けたが、これは彼の生涯を通じて行なわれた。1974年、彼は第1回・世界ゴルフ殿堂入り選手に選ばれ、殿堂入りした17人のゴルファーの一人となった。

 そして1981年からは「マスターズ」の公式スターターを務め、1999年まで続けられた。最後の始球式を行なった1999年、そのほぼ1か月後の5月13日、彼は肺炎からの合併症で亡くなった。97歳であった。
 バイロン・ネルソンはサラゼンについて、「ゴルフがプレーされ続ける限り、彼は記憶されていくことだろう」と語った。そしてすばらしい1打のことだけではなく、もっと多くの理由から皆の記憶に残っている。

イングランドのサンドウィッチに位置する、プリンスゴルフクラブの「サラゼンバンカー」でショットを放つパドレイグ・ハリントン。この地で1932年、サラゼンが「全英オープン」に優勝した。
1984年「マスターズ」の練習日に行なわれる「パー3コンテスト」で、青木功(右)、中嶋常幸(左)とラウンドするジーン・サラゼン(中央)。

Text/Dave Shedloski

デーブ・シェドロスキー(アメリカ)
長年に渡り、ゴルフトーナメントを取材。著書にアーノルド・パーマーの伝記『A Life Well Played』やジャック・ニクラスの『ゴールデン・トワイライト』などがある。

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