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【Legends of Golf Vol.10】ウォルター・ヘーゲン 米国ゴルフ黎明期を支えた「プロゴルファーの中のキング」

ゴルフ界隆盛の礎を築いたレジェンドたちの栄光を振り返る「Legends of Golf」。

ほぼ同時代に活躍したボビー・ジョーンズが生涯アマチュアを貫いたのに対し、プロゴルファーとして活躍し、「プロの中のキング」と呼ばれたウォルター・ヘーゲン。
メジャーでは11勝をマーク。1973年にジャック・ニクラスが12勝目を挙げるまでは、44年間歴代1位の記録だった。
生涯100万ドル以上稼いだ初の選手だが、全て使い果たしたという豪快な男でもある。

Walter Hagen

©Getty Images

1940年代、オーガスタナショナルのベンチに腰掛けるウォルター・ヘーゲン。メジャーでは「マスターズ 」だけは未勝利に終わった。

ウォルター・ヘーゲン(アメリカ)
1892年12月21日生まれ。1969年10月5日没(享年76歳)。
米国ゴルフ黎明期に競技ゴルフを確立し、プロゴルファーとして生涯を送った。世界ゴルフ殿堂入り選手。通称「ヘイグ」。小金井CCを設計。

茶目っ気たっぷりのエンターテイナー
ニクラス、タイガーに次ぐメジャー優勝回数を誇る

©Getty Images

1929年の第2回「ライダーカップ」米国キャプテンを務めたヘーゲン(左から2番目)。英国開催で、英国の2ポイント差の勝利に終わった。

©Getty Images

オーストラリアのジョー・カークウッドとプレーするヘーゲン(右手前)。

ヘーゲンの素顔は派手で目立ちたがり屋!?

インディアナ州にある「フレンチリックスプリングス・ゴルフリゾート」のクラブハウスには、1924年の「全米プロ」の出場者の写真が飾られているが、その写真にはウォルター・ヘーゲンが2人写っている。
これはどういうことか?
カメラマンがパノラマ撮影しなければならないほど大人数の中、茶目っ気溢れるプロゴルフ界のパイオニアは、グループの右端から反対側に走り込み、カメラを平行移動しながら撮影している間に両サイドで撮影されたということだ。
うまい具合に左端にたどり着いたヘーゲンは、満面の笑みを浮かべて写っている。

この写真は、本格的なツアープロの第一人者であるヘーゲンの本質をとらえている。
ヘーゲンは、同じ時代にプレーしていた誰よりも2人分優秀だったし、2人分楽しんでいたからだ。
ヘーゲンはメジャーで11勝を飾っただけではなく、プロゴルファーが今のように尊敬されていなかった時代に、プロであることの意味を定義し直した人物である。
ゴルフ史家はヘーゲンを目立ちたがり屋として描きたがるが、確かに彼は華のある人物だった。
一分の隙もない服装をして、リスクの高い場面でも、突破力のあるアグレッシブなプレーを身上としていた。
しかし彼は、マッチプレーを得意とする堅実なプレーヤーだったのだ。

スポーツライターのアル・レイニーは、「ヘーゲンの時代にゴルフの記事を書いていた私たちは、派手で目立ちたがり屋の面にばかり飛びついていて、ゴルフのプレーのことはほとんど取り上げなかった」と書いている。

ウォルター・チャールズ・ヘーゲンは、1892年12月21日、ニューヨーク州ロチェスターで暮らす労働者階級のドイツ系移民の子ども6人のうち、たった一人の男の子として生まれた。
野球が得意だったが、カントリークラブ・オブ・ロチェスターでゴルフを覚え、キャディをしているうちにゴルフに目覚めた。
クラブプロにアドバイスをもらうこともあったが、基本的には独学でスイングを学んだ。

ボビー・ジョーンズ、アーノルド・パーマーも敬愛するツアープロ1号

©Getty Images

「全英オープン」では1922年、1924年、1928年、1929年に通算4勝。「全英オープン」を制覇した初のアメリカ人選手だ。

©Getty Images

ニューヨークのビルトモアホテルでエドナ・クロスビー・ストラウスさんと再婚したヘーゲン。彼女とはニュージャージー州のゴルフ場で知り合ったという。

アメリカ人で初めて「全英オープン」優勝

ヘーゲンが19歳だった1912年、「全米オープン」を観戦し、自分のゴルフは出場者たちに引けを取らないと実感した。
その年の終わりには、「カナディアン・オープン」に初めて出場し、11位。
翌年、マサチューセッツ州ブルックラインのザ・カントリークラブで開催された「全米オープン」は、地元でキャディを務めていたフランシス・ウィメットがプレーオフを制したことで有名だが、この時ヘーゲンは、ウィメットと、英国のスター選手だったハリー・バードン、テッド・レイと優勝を争い、3打差の4位タイに入っている。

自信をつけた彼は、1914年の「全米オープン」で、アマチュアのチャールズ・〝チック〟・エバンスを1打差で破って優勝した。
こうしてプロとして1勝目を挙げ、その後PGAツアー公認の45勝を含む58勝をマークすることになる。

彼は、1919年の「全米オープン」でも優勝し、1922年にアメリカ人初の優勝者となった「全英オープン」では通算4勝。
「全米プロ」では、1924年から27年の4年連続を含めて5回の優勝を飾っている。
さらに、当時ビッグイベントの1つだった「ウェスタンオープン」での5勝を加えるとすれば、ヘーゲンは現代のメジャー級タイトルを、実に16回も獲得したことになる。
しかも通算11回のタイトルは、ジャック・ニクラス(18回)、タイガー・ウッズ(15回)に次いで、メジャー優勝回数で第3位である。

©Getty Images

1930年代、たばこ「ラッキーストライク」のポスターに登場していた。

エキシビションゴルフの花形プレーヤーに

マッチプレーにおけるヘーゲンの技量は、「ライダーカップ」のアメリカチームのキャプテンとして完璧なものであり、実際、第1回から第6回までキャプテンを務めている。
この間、アメリカは英国に4勝し、自らはプレーイングキャプテンとして9勝1敗の成績を残した。
当然のことながら、そのマッチプレーでの才能とショーマンシップ、いかつい顔立ちといつもぴったりとなでつけた黒髪は、エキシビションでも人気の的となった。
ヘーゲンは、エキシビションに出場し、多額の収入を得ることも多かった。

1926年初めのこと、ヘーゲンとボビー・ジョーンズが、フロリダにあるそれぞれのホームクラブで36ホールずつ、72ホールの試合を行なう約束をした。
「サー・ウォルター」と呼ばれていたヘーゲンは、有名なアマチュアだったジョーンズに12勝11敗で勝ち、1日の賞金としては自己最高額となる6800ドルを獲得した。
なお、この時の賞金の大部分は入場料収入によるものである。

ヘーゲンはこの時の勝利を、「ゴルフをしていて一番スリリングな経験」と言いながらも、ジョーンズに高価なカフスボタンを贈ったり、かなりの額を慈善団体に寄付したりするなど、勝っても驕らないところを見せた。
また、報道関係者に対しては、2人の「世紀の対決」ではほとんど何も決着はつかなかったと指摘しつつ、「チャンピオンが別のチャンピオンに勝つのはいつでも、どちらかの調子が良くて、もう一方の調子が悪いときだ」と語った。

もちろん全盛期のヘーゲンには、調子が悪いときというのは滅多になかった。
1940年に引退するまで、巧みに、そして楽しくプレーしていた。
ジョーンズはかつて、ヘーゲンについて「意気揚々として、笑顔を絶やさず、うまくいかなくてもくさったりせず、あるがままのボール位置からプレーする。
ウォルターは、私が知っている誰よりも、運に打ち勝つ術を知っている人間だ」と語っている。

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1929年「全英オープン」に優勝し、ヘンリー・コットン(右から2番目)と労いの握手を交わすヘーゲン。

©Getty Images

1929年「全英オープン」優勝のシーンが刻まれた「ウォルター・ヘーゲンカップ」は現在、「WGCデルテクノロジーズ・マッチプレー」の優勝者に贈られている。写真は2017年に同大会で優勝したダスティン・ジョンソン。

©Getty Images

1929年の「全英オープン」に向かうヘーゲン(中央)とジーン・サラゼン(左)。

プロゴルファーの地位を確立した「ゴルフ界のベーブ・ルース」

 ヘーゲンの、ゴルフや人生の哲学は、今でもよく引用される言葉に端的にまとめられている。

「自分がここにいられるのは、ほんのわずかの間だ。だが、急いではいけないし、思い煩ってはいけない。道に咲く花の香りを楽しもうじゃないか」

著名なスポーツライターのグラントランド・ライスは、プロゴルファーとしてのヘーゲンを支えていたのは、そのリーダーシップや、スタイル、勝利に対する姿勢だったと結論づけ、「ヘーゲンは、思慮深さ、立ち居振る舞い、スタイル、人柄によって、ベーブ・ルースがプロ野球選手として成し遂げたのと同じことを、プロゴルファーとして実現したのだ」と記した。

1969年10月5日、ヘーゲンは、4年間の咽頭がんとの闘病生活の末、ミシガン州トラバースシティで死去した。
棺を運ぶ人たちの中にはヘーゲンを敬愛するアーノルド・パーマーの姿もあった。

Photo/Getty Images

Text/Dave Shedloski

デーブ・シェドロスキー

長年に渡り、ゴルフトーナメントを取材。著書にアーノルド・パーマーの遺作『A Life Well Played』やジャック・ニクラスの『ゴールデン・トワイライト』などがある。

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