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【Legends of Golf Vol.8】バイロン・ネルソンが築いた紳士的プレーヤーとしての証

ゴルフ界隆盛の礎を築いたレジェンドたちの栄光を振り返る「Legends of Golf」。

正確無比なアイアンで数々の偉業を達成し、”バイロン卿”のニックネームで敬愛された紳士的プレーヤー「バイロン・ネルソン」を紹介!

Byron Nelson

©Getty Images

オーガスタナショナルのクラブハウス前でグリーンジャケットを着用してポーズを取るバイロン・ネルソン。

同い年のベン・ホーガン、サム・スニードらとともに戦前に活躍したレジェンド、バイロン・ネルソン。
1945年にはツアーで11連勝という快挙を成し遂げ、今もこの記録は塗り替えられていない。
彼の名前を冠したPGAツアーの試合があるので、聞き覚えのある人も多いだろう。
かつて米ツアーに本格参戦していた丸山茂樹がツアー2勝目を飾った試合である。
185センチと長身で、温厚な人柄だった彼の素顔に迫る。

バイロン・ネルソン

1912年2月4日生まれ。2006年9月26日没(享年94歳)。
テキサス州出身。ベン・ホーガン、サム・スニードとは同じ1912年生まれ。PGAツアー通算52勝、メジャー5勝。世界ゴルフ殿堂入り選手。
PGAツアー「バイロン・ネルソンクラシック」のホストを務め、今も「AT&Tバイロン・ネルソン」としてその名を残している。

牧場主になりたくてゴルフをやっていたネルソン

©Getty Images

1937年の「ライダーカップ」でプレーするネルソン。機械のように正確なショットを打つことから、全米ゴルフ協会がボールテストに使用する機械を「アイアン・バイロン」と名付けた。

温厚な性格のバイロンのもう一つの顔

彼はゴルファーになるために生まれてきたのだが、実は牧場主になりたいとも思っていた。
彼は結局その両方になったのだが、実際、バイロン・ネルソンは、ゴルフの才能を、牧場主になる夢を実現するために使ったのだった。
ボビー・ジョーンズを除き、ネルソンほどゴルフの才能に恵まれていた選手はおらず、まだ十分に素晴らしいショットができるにも関わらず、過酷なトーナメント競技から素早く身を引いて、引退した選手はいない。

ネルソンに「ロード・バイロン(バイロン卿)」というニックネームをつけたのは、アトランタの新聞記者、O・B・キーラーだった。
キーラーはボビー・ジョーンズの驚くべきキャリアも記録にとどめたことで有名な記者である。
ロード・バイロンと名付けたのは、ネルソンのやさしい性格と紳士的な態度に由来するが、経験なクリスチャンだった両親によってその性格は形成されたものだ。

しかし、そのような温和な見かけの裏には、PGAツアー52勝を含む64個のタイトルを獲得した勇猛な競技者としての顔も持ち合わせていた。
この実績には、5つのメジャータイトル(「マスターズ」2勝、「全米プロ」2勝および「全米オープン」1勝)が含まれている。
しかし何よりも、ネルソンは誰にも破られそうにない一つの記録によって広く知られている。
1945年、彼は18勝を挙げたが、その中には11連勝という信じ難いほど素晴らしい記録を残したのだ。
それ以来、ベン・ホーガンやタイガー・ウッズがネルソンの記録に迫ったが、タイガーの7連勝がいいところであった。 

1946年の「マスターズ」での一コマ。上段左からジミー・ディマレット、バイロン・ネルソン。下段左からボビー・ジョーンズ、ベン・ホーガン。

スニード、ホーガンと同じ年に誕生したネルソン

ジョン・バイロン・ネルソン・ジュニアは1912年2月4日、テキサス州ワクサハチーで生まれたが、主にフォートワースで育った。
ベン・ホーガンや、もう一人の殿堂入りゴルファー、サム・スニードと同い年である。
ネルソンはグレンガーデンCCでキャディの仕事を始めた時に腸チフスにかかったが、九死に一生を得た。
その後、12歳の時にゴルフを始めたが、プレーを始めるまでには1年ほどかかった。

そして14歳になるまでにはすっかり上達し、グレンガーデン・キャディートーナメントで、ベン・ホーガンを破って優勝したのだ。

1932年、彼はプロ転向し、テキサス州でアシスタントプロとして働きながらトーナメントでのプレーにも挑戦した。
1935年、ニュージャージー州に移り、リッジウッドCCでアシスタントプロを務めたが、「ニュージャージーステートオープン」で自身初のツアータイトルを獲得した。
彼はリッジウッドにいる間に、最高に再現性の高いスイングを完成させたのである。

彼のゴルフ人生で3回目の優勝は、ジョージア州オーガスタで開催された1937年「マスターズ」だったが、その時ネルソンの才能はすでに広く知られていた。
フィラデルフィアCCで開催された1939年の「全米オープン」で、デニー・シュート、クレイグ・ウッドとのプレーオフの末、優勝したが、ネルソンは、間違いなくツアーで最高のプレーヤーであった。

オハイオ州トレドにあるインバネスクラブでクラブプロとしての最後の仕事をしていた間、ネルソンは、クラブを保護するための標準的なサイズより大きなゴルフ用の傘作りを手伝ったといわれている。

©Getty Images

1940年~1941年と「マイアミオープン」で2連覇を遂げたネルソン。当時、オハイオ州トレドの「インバネスクラブ」のヘッドプロを務めていた彼が優勝し、優勝賞金2500ドルを一ドル札シャワーで祝福されているシーン。

©Getty Images

ネルソンには2人の妻がいたが、写真左は最初の妻、ルイーズ・ショフナーさん。1985年に亡くなるまで人生を共にした。翌1986年にペギー・シモンズさんと再婚。

クラブプロからトーナメントプロへ

1944年に彼はインバネスを去り、トーナメントゴルフに専念したが、それまでに既にメジャー4勝を挙げていたとはいえ、その戦歴は目覚ましいものであった。
1944年に彼は8勝したが、これは1945年の圧倒的な強さの前兆でしかなかった。
評論家の中には、第二次世界大戦の影響で試合自体に緩みが出たと主張する者もいたが、ネルソンの活躍が特筆すべきものであったことは否定できない。

彼の連勝は3月の「マイアミ・インターナショナル・フォアボール」(彼はジャグ・マクスパデンとチームを組んだ)から始まり、8月初旬の「カナディアンオープン」まで続いた。
連勝が途切れたのは「メンフィス・インビテーショナル」で、4位タイに終わった。
連勝の間、ネルソンは「全米プロ」で自身最後のメジャー勝利を挙げたが、彼はその準決勝で5ホールを残して4ダウンとなった後、36ホール目でジム・ターネサを破るという見事な逆転劇を演じたのである。
ネルソンはそれらのホールを、1イーグル、4バーディでプレーした。

「1945年に成し遂げたことは、大部分が精神的な成功だった」と、ネルソンは2003年、ニューヨークタイムズに語っている。

「その頃、ボールを非常にうまく打てていたので、本当に退屈するほどだったんだ。
不注意なショットは1打も打つまいと心に決めていただけ。それに加えて、牧場を持ちたいと考えていたんだよ」

©Getty Images

2002年、丸山茂樹が「バイロン・ネルソンクラシック」で米ツアー2勝目。ネルソン本人から優勝トロフィーを授与された。

タイガー・ウッズは1996年にプロ転向し、1997年「バイロンネルソン・クラシック」で優勝。

ネルソンがゴルフで成功して叶えたかった夢

牧場ーーネルソンがゴルフをし、そこで成功するために努力した動機といえば、彼が買いたいと考えていたテキサス州ロアノークの630エーカーの牧場だった。
そこは1946年に34歳で「引退」した後、半生を過ごした場所だ。
しかし彼の最後の勝利は、1951年の「ビング・クロスビー・プロアマ」(現在の「AT&Tペブルビーチ・プロアマ」)であった。
ネルソンは1966年まで、「マスターズ」を含め、時折トーナメントに出場した。

彼は牧場購入の夢を実現した後も、決してゴルフをやめたわけではなかった。
1960年代から70年代にかけて、ABCスポーツのTVコメンテーターを務め、ケン・ベンチュリやトム・ワトソンといったプレーヤーの指導を行なった。
彼は、ダラスでのPGAツアーの試合(現在の「AT&Tバイロン・ネルソン」)に自らの名前を貸すことに同意したが、トーナメント名に自らの名前が冠された最初のプレーヤーとなった。

また彼は晩年、マスターズの名誉スターターや、オーガスタナショナルGCでチャンピオンズ・ディナーのホスト役を務めた。

またおもしろい話では、ゴルフ用具をテストするための電気機械―ロボット―が開発された際、その装置は、ネルソンのスイングが最も再現性が高いとみなされていたことに因んで、「アイアン・バイロン」と呼ばれた。

晩年、その他多くの栄誉が彼に与えられ、ネルソンは2003年、「いかに私がゴルフをプレーしたか」という自叙伝を書いた。
彼は優雅さに加えて、目的を持ってゴルフをプレーした。たとえゴルファーとしてのキャリアは短くても、PGAツアーの勝利数ランキングで第6位である。
もちろん勝利数だけが問題ではないのだが……。

「ゴルフから得たいと思っていたものは手に入れたし、終生、ゴルフに対しては、心地よく温かな気持ちを抱いてきた」と、ネルソンは自らの人生について語っている。

ネルソンは2006年、ロアノークの自宅で94歳で亡くなった。
それよりずっと前の1974年、ネルソンは世界ゴルフ殿堂入りした最初の11名の男性の一人となり、ゴルフの専門家たちは、ゴルフ史上、最も偉大な10人のプレーヤーの一人に彼を挙げている。
牧場主にしては悪くない話だ。

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「マスターズ」で長年始球式のスターターを務めたネルソン。左から、ネルソン、ジーン・サラゼン、ホード・ハーディンマスターズ委員長、サム・スニード。

©Getty Images

34歳で引退を表明した後は、テレビのコメンテーターとしても活躍。晩年は出身地のテキサスで過ごした。

Text/Dave Shedloski

デーブ・シェドロスキー

長年に渡り、ゴルフトーナメントを取材。著書にアーノルド・パーマーの遺作『A Life Well Played』やジャック・ニクラスの『ゴールデン・トワイライト』などがある。

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