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【世界トッププロ達のFamily・家族の絆】第9回「ダスティン・ジョンソン」

世界のトッププロたちは、毎週各地を転戦し、自宅で家族と過ごす時間はあまりない。
しかし過酷なスケジュールの中、頑張れるのも家族がいるから。
プロたちの大事なチームである家族を紹介する。

連載第9回は、ダスティン・ジョンソン。

Dustin Johnson
ダスティン・ジョンソン

©Getty Images

2016年「全米オープン」で初メジャー制覇を達成したダスティン・ジョンソン(中央)。左はフィアンセのポーリナさん、右は長男のテイタムくん。

「アイスホッケーの神様」と呼ばれるウェイン・グレツキー氏を父に持つ美女と2013年に婚約した世界ランク1位のダスティン・ジョンソン。
彼らの間には2人の子供たちが誕生しているが、いまだ結婚には至っていない。
念願の「マスターズ」にも優勝し、順風満帆な人生に至った彼のこれまでの道のりを振り返る。

両親の離婚がダスティンに与えた、大きな心の傷

©Getty Images

弟で長年キャディも務めるオースティンさん(左)。昨年「マスターズ」で優勝した時には、本人よりも先に感情的になり涙を流した。

ジョンソン兄弟の人生を変えたある出来事

ダスティン・ジョンソンの傍らでキャディを務めているのは、弟のオースティンさん。
2013年終盤以来、兄のダスティンとともに二人三脚でツアー通算17勝を挙げている。
ダスティンは、2007年にプロ転向し、ボビー・ブラウン氏が彼の専属キャディだったが、2013年にオーストラリアの試合に出場する際、ブラウン氏が妻の出産に立ち会うため、代わりに誰かを探さなければならなくなった。
その時に白羽の矢が立ったのが弟のオースティンさんだったのだ。

彼は2013年に大学を卒業し、もともと製薬会社にセールスマンとして就職しようと考えていた。
しかし、兄の一言でキャディを務め、その後「WGC・HSBCチャンピオンズ」でもう一度キャディを頼まれた際に優勝。
その時点で彼は、兄の専属キャディとしての人生を本格的に歩み始めたのである。

彼らは、大学時代にフットボール選手だった父、スコットさんと母、カンディーさんの間に生まれた。
スコットさんは、酒の販売代理店で働いていたが、ワインのケースを開ける際、腕を切って腱を断裂。
何度も手術を試みたが成功せず、フットボール選手としての道は断念せざるを得なかった。ダスティンにとって父はゴルフを初めて教えてくれた存在だった

だが、彼が高校生の時に両親が離婚。両親は10年以上、互いに一言も会話を交わしていなかったという。
両親の離婚が、ダスティンに及ぼした影響について、大学時代のゴルフコーチのアレン・テレル氏は米国の放送局ESPNに次のように語っている。

「ダスティンは何かしら目指す方向性が必要だった。
未来が必要だった。初めて彼に会った時、なんと心の広い人間だろうと思ったものだ。
祖母や母親、妹の話をしてくれたが、両親に対して何も反抗的なことは言わなかったんだから。
しかし離婚後、彼は家を転々とし、高校も変えなくてはいけなくなった。
いろんなことが起こって、悪の道に引きずり込まれていったんだ」

本人が思っている以上に、両親の離婚は彼の心を傷つけた。
一見ポーカーフェイスを装う彼も、心の中では苦しんでいたのだ。
両親とはそれぞれうまくやっており、兄弟間の仲も良いのは幸いだが、彼の持つ独特の雰囲気―一見、素っ気ない素振りを見せるが、実は意外と優しい性格―はこんな子供の頃の経験が影響しているのかもしれない。
また、プレー中のミスショットや思い出したくないような経験も過去のものとして忘れ去り、次に進むことができる気持ちの切り替えの早さなども、こうした出来事から自分を守る術だったのかもしれないと思う。

ダスティンの心を救ったアイスホッケー界のレジェンドと娘の存在

©Getty Images

2018年「ライダーカップ」のガラディナーに出席するジョンソン(右)とポーリナさん。ベルサイユ宮殿で行なわれた。

©Getty Images

2014年、「クアーズライトNHLスタジアムシリーズ」の試合をロサンゼルスに観戦に来たウェイン・グレツキー氏(右)とその家族、友人、D・ジョンソン(左から2番目)。ジョンソンの右隣がポーリナさん。

アイスホッケーのレジェンドとその娘との出会い

現在、ダスティンは2013年に婚約を交わしたポーリナ・グレツキーさんと2人の愛息(テイタムくん、リバーくん)とともに幸せな家庭を築いている。
なぜ彼らが8年前に婚約をしながら、まだ結婚に至らないのか、はっきりしたことは不明だが、将来義父となるアイスホッケー界のレジェンド、ウェイン・グレツキーとの関係も良好で、毎年2月に開催される「AT&Tペブルビーチ・プロアマ」には2人で出場する仲だ。

もともとダスティンとグレツキー家の接点はどこにあったのか。
2011年、タイガー・ウッズがホストを務めていた大会のプロアマ戦で、グレツキー氏の妻、ジャネットさんがダスティンと一緒に回ったことがきっかけだった。
プロアマ戦が終わったその夜に、ジャネットさんはダスティンを家に招待。
そこでポーリナさんを紹介し、2人は携帯番号を教え合い、交際が始まった。
ちなみにポーリナさんはモデルであり、歌手。
スレンダーでセクシーな体型が注目を浴び、米国『ゴルフダイジェスト』誌の表紙を飾ったこともあった。

ダスティンとポーリナの危うい関係

2013年に婚約を発表し、入籍しないまま2015年に長男テイタムくんが誕生。2017年にはリバーくんが生まれ、その数日後の父の日にポーリナさんは、SNSにダスティンがリバーくんを抱っこしている写真をアップし、「こんな素敵な人との結婚なんて待ち遠しいわ。最高のお父さんでいてくれてありがとう!ハッピーファーザーズデイ」とコメントしている。

彼女にとってダスティンの存在は息子たちにとっての「最高の父」であり「親友」。
自身もゴルフはするが、ダスティンのプレーを観て歩くのが好きで、「何かを諦めることになったとしても、今はダスティンとの関係が最も大事」と語る。
昨年「マスターズ」でダスティンが優勝した時には、18番グリーン上で熱く抱擁し、キスを交わしていた姿が印象的だった。

だが、彼らの関係は時々危うくなることもあった。
2018年に「ライダーカップ」がフランスで開催されたが、この直前に、彼女のSNSからダスティンの写真が全て消去されるという事件が起きた。
もしかしたら2人の間で、女性を巡る痴話喧嘩が起きたのかもしれない。
もともとダスティンは、LPGAツアープレーヤーのナタリー・ガルビスなど、女性との噂には事欠かないタイプだったからだ。
だから「ライダーカップ」にもポーリナさんは来場しないのでは?という憶測も飛んだが、なんとか大会前に仲直りできたようだ。

©Getty Images

「AT&Tペブルビーチ・プロアマ」で過去2連覇を果たしたこともあるジョンソン。毎年W・グレツキー氏(写真右)とペアを組んで出場している。グレツキー氏自身も大のゴルフ好き。

「子供たちに尊敬されるような人間になりたい」――ダスティン・ジョンソン

©Getty Images

2017年「ジェネシスオープン」に優勝した時のジョンソン。長男テイタムくんの誕生が、彼に心の平和をもたらした。

ダスティンを人としてゴルファーとして成長させたものとは?

また、彼は一時、ツアーから姿を消したことがあった。
薬物検査を受検し、陽性反応が出たこともあったが、それが直接の原因だったのかどうかは定かではない。
しかし、「自分の人生をもう一度見つめ直したい」と、半年試合に出なかったのだ。

そんな彼に対し、グレツキー氏は苦言を呈したことがある。

「娘と交際を続けたいなら、人生を見つめ直し、変える必要があると言ったんだ。
そして、彼に次のように言ったこともあった。
タイガーのようになれってね。
決してタイガーになれという意味ではない。
あんな選手は100年に1度出てくるかどうかだからね。
2016年にダスティンはツアー3勝、メジャー1勝を挙げ、すばらしい1年になったが、年間5勝、メジャー2勝を目指せといったんだ」

レジェンドアスリートの義父からの助言と、愛する女性や子供たちの存在が、徐々にダスティンの人生をいい方向に導いていったと言っていいだろう。
実際、彼と取材で接していても、昔よりも優しくなったような気がする。
「子供たちから尊敬されるような人間になりたいと考えるようになった。人として成長している」と米国「スポーツイラストレイテッド」誌のインタビューで語っているが、子供の父親になったことで、人生をシンプルに考え、自分の家族やゴルフ人生にとって何が大事なのかを考えるようになったようだ。
そしてこの考え方が、プレーにも好影響を与え、現在の世界ランク1位という地位も、子供の頃から夢だった「マスターズ」優勝も実現できたのではないだろうか。

Text/ Eiko Oizumi Photo/Getty Images

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