• 国境や人種を超えたスポーツの力とゴルフの愉しさをすべての人に。
  1. ホーム >
  2. コラム >
  3. 家族の絆Vol.12
    ローリー・マキロイ

家族の絆Vol.12
ローリー・マキロイ

22歳10ヶ月で世界ランク1位に君臨し、キャリアグランドスラム達成まで「マスターズ」優勝を残すのみ、というローリー・マキロイ。2007年プロ転向後は、父でありコーチのジェリーさんが常に付き添ってスイングのアドバイスを送り、母のロージーさんがロープ外から温かく見守るという光景が続いている。2017年に結婚し、2020年には娘が誕生。父となったマキロイのこれまでを振り返る。

2021年「ウェルズファーゴ選手権」でPGAツアー19勝目を挙げたマキロイ。エリカ夫人(中央)と生後8ヶ月のポピーちゃんが優勝を祝福。

ローリー・マキロイ(北アイルランド)
1989年5月4日生まれ。175cm、73kg。PGAツアー20勝、欧州ツアー14勝、メジャー4勝。世界ランク最高位1位。2016年、2019年フェデックスカップ総合優勝。「マスターズ」で優勝すればキャリアグランドスラム達成。

一人息子にゴルフをさせるために、いくつもの仕事を掛け持ちした両親

2015年欧州ツアー「DPワールド・ツアー選手権」で優勝し、「レース・トゥ・ドバイ」で総合優勝を果たしたマキロイ(右から2番目)。左から父のジェリーさん、母のロージーさん、右はエリカさん。

 今や年収55億円以上とも言われ、「フォーブス」の「2020年世界で最も稼ぐセレブ100人」で44位にランクインしているローリー・マキロイ。ゴルフ界ではタイガー・ウッズ(26位・65億円)に次ぐ2番手で、最も成功しているスポーツ選手の1人であるが、彼の生い立ちを知ればいかに両親が苦労をし、本人の努力でここまでの成功を収めているかに感動を覚える人も多いだろう。

2014年「全英オープン」で優勝したマキロイ(左)。父・ジェリーさん(右)、母・ロージーさん(中央)とクラレットジャグ(優勝トロフィー)とともにクラブハウス内で記念撮影。

「両親は僕のために全てを犠牲にしてゴルフをさせてくれた。両親ほど大事な人はいない」-ローリー・マキロイ

 ローリーは、北アイルランド・ベルファストから車で15分ほどの田舎街に生まれ育った。ベルファストはタイタニックを建造した場所であり、かつては「北アイルランド問題」(イギリスとアイルランドの領土問題、地域紛争)の中心地だった政治的に複雑な場所だ。ローリーの家庭は裕福とは言い難く、もともと父・ジェリーさんはハリウッドGC(生家から車で5分)のバーテンダーを務めていたが、ローリーのゴルフの才能を幼少の頃に見抜き、清掃業の仕事も掛け持ち。才能あふれる一人息子にゴルフをさせるために収入を増やそうと懸命だった。『ベルファスト・テレグラフ』誌によれば、午前8時から昼までスポーツクラブの清掃の仕事をし、その後は午後6時までハリウッドGCのバーテンダーとして勤務。1時間の休憩を挟んで午後7時から真夜中まで再びバーテンダーとして働いたという。

 そして母ロージーさんも、日中は幼いローリーのそばにいたが、夜になると3Mの工場で働いていたという。これも、2歳にして40ヤードのショットを放つ息子の才能を信じてゴルフをさせ、世界中のジュニアの大会などにも遠征できるよう、ゴルフにかかる費用を稼ぎ出すためであった。ローリーはそんな両親について『ベルファストテレグラフ』誌のインタビューに次のように答えている。
「両親のサポートは計り知れない。全てのことを僕のために犠牲にしてくれたんだ。今でさえ、なんでも話せるのは世界で両親だけ。いい時も悪い時も常に一緒にいてくれて、こんなに大事な人間はいない」

 ローリーはジェリーさんに、毎日ハリウッドGCに連れて行って欲しいとせがんだ。かつてはスクラッチプレーヤーだったジェリーさんは、ローリーにゴルフクラブをプレゼントし、グリップの仕方を教えたという。その夜、ローリーはクラブを正しく握り締めたまま眠ったそうだ。彼は、ハリウッドGCのメンバーたちの好意により、7歳にして最年少メンバーとして受け入れられ、ゴルフ場のヘッドプロ、マイケル・バノン氏にゴルフを本格的に習った。バノン氏は今でも、彼のコーチの1人として、トーナメント会場に姿を見せている。

父であり、コーチでもあるジェリーさん(左)。メジャーの練習ラウンドでは、息子のラウンドに付き添いながら歩いていることが多い。

真面目で勤勉な北アイルランド気質を受け継ぐマキロイ

2014年、ロイヤル・リバプールで開催された「全英オープン」で優勝したマキロイ。18番グリーンサイドで待ち構えていたロージーさん(左)がハグで祝福。

 北アイルランドの人々は「一生懸命努力すれば、成功する」という精神が特に強いのだという。そんなメンタリティを持った両親のもとに、一人息子として生まれたローリーもまた、成功のためには努力を惜しまない人間に育った。
「地元の人たちは、僕が北アイルランドの出身であることを思い出させてくれるんだ。一生懸命働けば、成功するという精神で成功した人は、みんな心から喜んでくれる。地元の人たちは僕の成功を誇りに思ってくれると同時に、自分はどこから来た人間かを思い出させてくれるんだ」

 ちなみに彼の北アイルランドの生家が、2017年に約3500万円で販売されたという。一度北アイルランドに取材に行った際、生家を訪れたことがあるが、レンガ造りの家の庭には、両親がローリーのために作ったパッティンググリーンがあった。

欧州ツアー「アルフレッド・ダンヒル・リンクス・チャンピオンシップ」では毎年親子で出場しているマキロイ父子。ジェリーさんもシングルの腕前。

PGA・オブ・アメリカの職員との運命の出会い

2018年「ライダーカップ」のガラディナーに出席したマキロイ夫妻。フランス・ベルサイユ宮殿にて。

 ローリーは2017年4月、全米プロゴルフ協会の職員だったエリカ・ストールさんと結婚した。式はアイルランドの高級ホテル「アシュフォード・キャッスル」で豪勢に行なわれ、ワン・ダイレクションのナイル・ホーランやコールドプレイのクリス・マーティン、スティービー・ワンダー、エド・シーランら世界のセレブたちが集結。彼らの結婚を祝福した。

 さて、そもそも一般人のエリカさんとはどのように出会ったのか?
 2012年、米国シカゴ郊外のメダイナで開催されていた「ライダーカップ」に出場していたローリーは、寝坊してスタート時間に間に合わないという事態に陥った。その時、急遽彼をホテルに迎えに行き、車に乗せ、パトカーに先導させてスタート時間に間に合わせたのがエリカさんだったのだ。「ライダーカップ」は全米プロゴルフ協会の管轄で、エリカさんは現地でスタッフとして働いていたが、ローリーをピンチから救出したのが彼女だった。

 当時彼は、テニスプレーヤーのキャロライン・ウォズニアッキと交際し、婚約していた。2014年の春、結婚式の招待状まで送付した後にもかかわらず、当時25歳だったマキロイは「問題は僕にある。結婚の招待状を送ってみて初めて、結婚の準備ができていないことに気づいた。キャロラインには幸せになって欲しい」と語り、「3分間の電話」で電撃破局となったのだ。この電話を受けた時、ウォズニアッキは「フレンチオープン」に出場中だったが、ショックのせいか早々に敗退。一方、欧州ツアー「BMW PGA選手権」に出場していたローリーは、優勝を遂げている。その後、ウォズニアッキのSNSの写真が、「魔女の出で立ち」の彼女に変わっていたのを見ると、相当呪わしかったのだろう。2人だけにしかわからない事情もあるだろうが、挙式直前にもかかわらず、たった3分間の電話で一方的に破談にされた彼女のことを思うと、非常に気の毒だった。だが、ウォズニアッキ自身、テニス界のスーパースターであり、ローリーを陰で支える、というタイプではなかった。ゲーリー・プレーヤーと世間話をしていた時、こんなことを言っていたのを思い出す。

デンマークのテニスプレーヤー、キャロライン・ウォズニアッキ(左)と挙式直前で電撃破局。たった3分の電話で破談になった。

「ローリーは結婚相手をよく考えた方がいい。私の妻は私のキャリアを支えてくれ、家庭を守ってくれた。ローリーが今後活躍したいなら、そういう女性を選ぶことだ」
 そんなレジェンドの助言が、本人の耳に届いたのかどうかはわからない。だが、彼はウォズニアッキとの結婚を取りやめ、その後エリカさんと交際を始めた。エリカさんについてローリーは「控えめで物静かな人」と語っている。

 2015年12月にパリでプロポーズし、2017年に挙式。一昨年の8月末には第一子ポピー・ケネディちゃんが誕生し、父親となった。ポピーという名前は花の名前から名付けたのだという。自分の従兄弟の娘の名前がポピーで、気に入ったのだそうだ。現在は、フロリダの約12億円の自宅で幸せに暮らしている。

Text/Eiko Oizumi
Photo/Getty Images

関連する記事